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夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第四章】届け、この想い
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二十七.彼の復帰、新たな仲間


 翌日。月曜日のOFFが明け、極大陸上部の面々はいつも通りサークル棟に集まっていた。

 消沈して心ここに在らずな後輩たちを見回して、範昭が目を細める。


「お前ら、揃いも揃ってなんて顔してやがる。暗いんだよ!」

「だって……」


 口ごもる真平に、皆も無言で同意を示している。

 手が届く寸前で弾けた夢を思うだけでも悔しいのに、絶対的支柱である久蓮のあんな姿は、皆の心に影を落とすのに十分すぎる。


 だが、それだけでは終わらなかった。あの日、蒼たちは世間の好奇の目を強く意識させられた。思い出すだけでも(はらわた)が煮えくり返るその出来事は、騒ぎが一段落していざ解散というところで起こった。



「あーお前ら、いつまでもうじうじしてんな。俺たちはなぁ──」

「すみません」


 がしがしと後頭部を掻き(まなじり)を上げた範昭の言葉を遮って、聞き慣れない声が会話に割り込んできた。


「少し、お話を聞かせていただいて宜しいですか?」

「……何でしょうか」


 どうやら記者らしいが、ぎらりと光る視線には嫌なものを感じる。範昭が部員たちを庇うように、一歩前へ出た。野々口も、笑顔を浮かべたまま記者を警戒している。


「『王者』に『無敗の帝王』、『昨年度インハイ覇者』。面白いメンバーですねぇ。そして、無敗の帝王は病院……ですか」


 好奇の色を隠しもせずにぶつかる視線が、普通なら極北にいるはずのない選手たちの事情を探り当てようと揺れる。不躾な言葉に飛び出しかけた蒼を、範昭は手で制した。


「……何が聞きたいんですか」

「今のお気持ちを」


 記者の男は、ニヤリと嫌な笑みを浮かべている。


「そんなにご心配されなくても、借りは必ず返します。──本戦で」


 範昭は毅然と言い放ったが、敗北にうちひしがれていたところにかかった手痛い追い討ちは、皆の心を強く抉った。



 いつまでも下を向いてグラウンドの小石を数えている後輩たちに、範昭は片手で顔を覆って嘆く。


「はぁ……。それじゃ久蓮が浮かばれねぇだろうが」

「えっ、まさか──」

「あ、いや違う。あいつは別に走れなくなったわけじゃねぇよ、ちゃんと戻ってくる。明後日には退院だ」


 蒼は、慌てふためいて言葉を重ねる範昭を見ながら、珍しい失言だと苦笑を零した。


「おら、とりあえず練習やるぞー」


 いつもなら騒がしい集団ジョグとなるはずが、それすらどこかぎこちない。

 結局、上の空のまま練習を終えた一同が、グラウンドの脇に輪を描いた。ふと顔を上げると、大慌てでこちらに駆けてくる人影がある。


「東雲!」


 蒼の声で皆がパッと顔を上げ、視線が人影を捉えた。「みなさーん!」と鈴を転がすように声が近付いてきて、瑠衣は輪に辿り着くと、膝に手をついて息を整えはじめた。


「ま、間に合った……」

「どうした、東雲?」

「……皆さんに、お話が、あって」


 範昭の問いに、瑠衣が息を切らしながら顔を上げる。晴れ空のようなアイスブルーが、怯むことなく皆を見据えた。


「私、陸上部に入部したいです。……皆さんの走る姿を見て、その……すごくかっこ良くて……。駅伝でお手伝いをさせてもらって、もっと力になりたいって思ったんです。お願いします、私を仲間にしてください!」



 さらに翌日。グラウンドを駆ける部員たちは、長めのジョグに二百メートル十本のインターバルと、軽めのメニューでレースの疲れを癒していた。


「みんな、頑張ってー!」


 瑠衣の黄色い声援がトラックの反対側まで飛んできて、蒼の背を強く押した。ぐん、とスピードが上がり、前を行く翔太の背が大きくなる。心地よく風を切り裂いて、蒼はあっという間にゴールラインを割った。


「今日のメニューでマネージャー二人とは贅沢だな」


 ポリポリと頬を書きながら、範昭が言う。眉を寄せているが、蒼には照れ隠しに見えた。


「瑠衣ちゃんがいると、空気あかるいですね!」

「ん? 翔太お前、東雲さん狙いか」


 裕也がニヤリと問いかけた。なんとなくモヤモヤとした重さが胸に渦巻いて、蒼は首をかしげる。


「べつにそういう気持ちで言ったわけじゃないですよー!」

「なんだ、お前にも春が来たのかと思ったのにな~。……いや、それじゃ、秋山さんか? よく仲良く話してるだろ」

「もー、やめてくださいよ~!」


 裕也に続いて麻矢までもがニヤニヤと笑うので、翔太は顔を真っ赤にしている。「そりゃ、すてきなひとですけど……」と呟く翔太は、視線を泳がせながらも少し頬を弛めた。


 瑠衣にこの会話が聞こえているのでは、と蒼は焦って視線を走らせたけれど、少し離れたところで記録を記入している彼女は、真剣にノートとストップウォッチを見比べている。

 痛みにまで変わっていた胸の淀みは、いつの間にかきれいさっぱり消え失せていた。


 そのとき。


「やー、お疲れ様~」


 憂鬱を切り裂く飄々とした声が、グラウンドの空気を揺らした。


「久蓮さん⁉」

「あっ? お前、どうして居んだよ!」


 皆の悲鳴じみた声が響く。たしかに今日退院とは聞いていたが、まさか、グラウンドに姿を現すとは。口をパクパクとさせるばかりの皆を尻目に、瑠衣がつかつかと久蓮に歩み寄る。


「篠崎さん! 今日は任せてくださいって言ったのに!」

「や、ちょっと様子見にきただけだって。キミを信用してなかったわけじゃない」

「そういうことじゃないんですって! まさか、走るつもりですか!」

「や、走らない。走らないからね!」

「当然です!」


 久蓮は瑠衣が入部したことを知っていたらしいが、彼女の剣幕に気圧されてタジタジだ。なんとも珍しい久蓮の反応を、下級生は目を丸くして、上級生は笑いながら見ていた。


 一通り騒ぎが落ち着くと、久蓮は咳払いをした。


「コホン、……えーと。なんで来たかっていうとさ、別に走りたかったわけじゃなくて、──真平」

「……はい」

「お待たせ、よく我慢したね。晴れて明日から、選手に復帰だ」

「はい!」

「それから、皆。心配かけて、……勝てなくて、ごめん」


 皆がぴたりと固まって視線を彷徨わせ、久蓮が苦笑した。


「ちがうね、やり直し。──ありがとう、皆のおかげでオレたちの夢は続いている。あんな姿見せちゃったけど、それでもまだオレについてきてくれる?」

「そんな……もちろんです!」

「キミたちにもらったチャンスで、オレは帝北大にリベンジしたいんだ。リベンジ──させてくれ」


 やっとここから、本当の『極北大学陸上競技部』がはじまる。けれど、選手としての久蓮がいないのだ。突きつけられた事実が、蒼は苦しかった。


「じゃ、お前はこっちな」

「は、ちょ。ノリちゃん……?」

「僕もお共しますね」


 昴と範昭が久蓮を連行しようとする。そのとき、真平が範昭の服の裾を引いた。昴が先に久蓮を連れて戻ると、険しく範昭を見つめて真平は言った。


「ノリ先輩、駅伝でのことをそろそろ教えてくださいよ。……久蓮さんは何を隠していたんですか」

「……あいつはあの日、熱があった」


 空気が揺れた。真平が目を見開き、悔しげに目を伏せる。そうですか、と唇が動いたが、音になるだけの力はなかった。


「知ってたのに止めなくて、……すまん」


 範昭はぴしりと姿勢を正して、手本のように深く頭を下げた。踵を返した範昭を見送り、残された部員たちは声も出せない。

 蒼は小さく息を吸い込んで、言った。


「あの……明日あたり、お時間ありますか?」

 

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