表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第三章】如月蒼の選択
24/51

二十三.広がる波紋


【三区:九.五キロ】極北大:桃谷翔太(一)、極教大: 飽田信次郎(一)、帝北大:長都俊平(三)

──────


 蒼が芝生に膝をついた範昭に駆け寄ると、荒い呼吸の間から悔しげな声が零れた。


「はっ、はあ! すまん、離された……!」


 リードを使い潰したと範昭は言うが、一万メートルの自己ベストを大幅に更新するハイペースだった。


 ダウンに向かった範昭を見送って、蒼は真平と二人、翔太の経過に意識を向ける。二周目、二キロ地点の速報がLINEに共有されてしばらくすると、沿道の声援が大きくなり、帝北大の長都(おさつ)が姿を現した。

 ラスト一周を残して、かなり呼吸が乱れている。翔太に詰められて焦りを滲ませたその表情は、紛うことなき強者の(おご)りだ。


 そしてすぐに、声援が翔太の到来を伝えた。顔を歪めた翔太の荒い呼吸が耳を打つ。

 曲がり角の多いこのコースは、要所で前を走る選手の姿が見えなくなる。目標が頻繁に見えなくなるというのは、追う側に与える精神的ダメージが大きいはずなのに、翔太はずっと攻めの走りをしていた。五千メートルの公式記録はかなり差がある長都相手に、襷リレー時から半分以上差を縮めている。


「翔太! あと一周だ!」

「前と十八秒差! ファイト!」


 蒼たちの前を通り過ぎた瞬間、翔太の足取りが軽くなった。その背中が、皆の想いを背負って力強く進む。『おれ、負けないよ!』と、走りが告げていた。

 ラスト一周、その瞳が長都を捉えれば、翔太はきっとやってくれる。


 そして、また蒼の携帯が通知を告げる。画面に視線を落とした瞬間、歓喜が沸き上がった。唯たちからの最新情報は『同時通過』。ついに翔太が追いついた。


「どうだ? ──おぉ、すげぇな!」


 ダウンから帰ってきた範昭の声も跳ねた。ドクドクと高鳴る鼓動を抑えもせず、蒼は翔太が走ってくるコースを見つめる。

 その数秒後、二人のランナーの姿が蒼の視界に飛び込んできた。疲れ果てたその背を少しでも押したくて、蒼は必死に声を出す。


「翔太、ラスト!」


 目が合った、瞬間、翔太の動きが変わった。残る力の全てを振り絞った渾身のラストスパートからは、「勝ちたい」と強い意志が滲み出ている。


「昴さん! お願い、……します!」

「ナイスラン。後は──お任せを!」


 翔太から昴へ、帝北大にわずかに先行して、紺銀が翻る。


──────

【三区→四区】

一位通過 極北大(桃谷翔太→六連昴)

二位通過 帝北大(長都俊平→北市陞)+一秒

三位通過 極教大(飽田信次郎→唐崎琢磨)+二分三十九秒

──────

【四区:十四.〇キロ】極北大:六連昴(五)、極教大: 唐崎琢磨(三)、帝北大:北市陞(三)

──────


「翔太!」


 蒼は、地面に倒れ込んでいる翔太のもとへ駆けた。


「あお! おれ、がんばった!」

「ああ」

「みんなに、たくさん、助けてもらった!」

「ああ!」


 スポーツドリンクとバスタオルを渡す。荒く呼吸しながら、翔太はきらきらと語る。達成感と走る喜び溢れる姿に、蒼は心から頷いた。


「も、動けない……」

「翔太⁉」


 目を回した翔太を、蒼は抱えるようにして支えた。手を貸してくれた範昭が「大健闘だな」と歯を見せて笑うので、蒼は力一杯頷いた。翔太の力で、極北大は帝北大に一歩リードだ。

 蒼の視線は、もう見えない昴の姿を追う。


『一キロ地点、六連君一位通過。二位帝北大、十五秒差』

『二キロ地点、昴さん一位通過。二位帝北大、二十一秒差』


 一キロ地点の野々口たち、二キロ地点の瑠衣たちと、続々更新される昴のラップタイムに、蒼は思わず「凄い……!」と呟いた。帝北大の北市(きたいち)とて実力は折り紙付きなのに、たった二キロで二十秒も差を広げた。さすがは『王者』、圧巻の走りを惜しげもなく披露している。


 そのとき、観客たちのどよめきが大きくなった。視線を上げた先、鉄紺が揺れる。観衆たちが口々に『六連昴』の名を呼んでは驚きの表情を見せていた。

 大学四年間の競技人生を全うし、実業団に進んでいると信じて疑わなかった箱根のヒーローが、『極北大・六連昴』に立場をかえて公式レースに姿を現したのだ。驚きは一入(ひとしお)だろう。


 見慣れてしまった喘息の兆しを見せながらも力強く駆け抜けた昴に、全力で声援を送る。次いで、目の前を帝北大の北市が通り過ぎていく。

 レースはまだまだ序盤、すでに昴の姿はコースの先に消えていた。


 各地点の経過を受け取ったばかりのはずが、早くも沿道の観客たちが騒めきはじめた。先ほど昴を見送ってからもうすぐ七分が経つ。実力を考えれば妥当な時間ではあるのだが、「もう⁉」という気持ちが拭えない。

 颯爽と駆け抜けた昴の走りは、相変わらず他の選手たちとは一線を画していた。


「敵わねぇな、全く……。頑固だぜ」


 ぽつりと零された範昭の呟きは、苦々しくも、どこか清々としている。思わず蒼が頷いたとき、ふと気配が増えた。

 振り向くと、次の走者の大介だ。相変わらず声は聞こえてこないけれど、「任せてください」と瞳が雄弁に語っていた。


 昴のレースは、残すところあと二周だ。



 最後の直線に姿を現した昴をみて、蒼は息を呑んだ。昴の足取りがおかしいのだ。時折不自然にフォームが崩れ、俯き視線が下がっている。それでもスピードだけは保ち続けるその姿に、蒼は背筋が凍った。

 となりの範昭も、その向こうの真平も、瞬間声を失って昴の姿を瞳に映していた。


「昴さん、あと少し!」


 祈り叫んだ蒼の声に応えるように、瞬間昴がわずかに顔を上げ、弾かれるよう襷を外した。己の全てを懸けた走りを体現する昴から、蒼は目を離せない。

 魂さえ振り絞るようにスピードを上げた昴の手から、大介の手へ。襷は先へと駆ける。


──────

【四区→五区】

一位通過 極北大(六連昴→御影大介)

二位通過 帝北大(北市陞→仲木戸洋)+一分三十二秒

三位通過 極教大(唐崎琢磨→榎本薫)+四分八秒

──────

【五区:十一.六キロ】極北大:御影大介(三)、極教大:仲木戸洋(二)、帝北大:榎本薫(三)

──────


 襷リレーを終えるなり、昴は固いアスファルトに昏倒した。そのままぴくりとも動かない。


「佑介さん、酸素お願いします!」

「ああ。ノリ、薬持ってきて」

「はい!」


 駆け寄る範昭が救護の腕章を付けた青年と言葉を交わすのを聞きながら、蒼も慌てて動き出す。動き出したもののどうしてよいか分からないでいた蒼を、佑介の瞳が射抜いた。


「君、──如月くん。昴移すから、手をかして」

「はい!」


 反射で返事をし、少し離れた芝の上に昴を移動させた。

 しばらくすると、昴がゆっくりと目を開けた。未だ茫洋としている昴の顔色は青いけれど、はっきり意識が戻ったことで、蒼はようやくホッと息をつく。


「気分はどうだ?」

「……すみ、ません……」


 顔をのぞき込んだ佑介の問いかけに、絞り出すように掠れた謝罪が落ちる。


「区間賞かっさらってる奴に謝られてもな。チームを首位に押し上げて襷リレー。十分仕事してんだろ」


 範昭が突き放すように言い、蒼もそれに頷いた。自身が同じ状況で、同じパフォーマンスができただろうか。


「大介先輩も、燃えてました」


 いつも穏やかな大介が揺らした闘志は、皆と昴の好走あってこそだ。けれど、『ツケ』は久蓮の両肩に乗ると分かっている昴は、浮かない顔だった。



 大介と帝北大・榎本(えのもと)との差は、じわじわと狭まっている。地力の差が大きいので、詰められるのは仕方がない。苦しい展開にも、大介は焦らずハイペースを刻んでいる。翔太と同じく大学からの陸上初心者だが、そうは信じがたい安心感ある走りだ。

 一周目を終え、中継地点を通過する大介を見送たとき、蒼は範昭に声をかけられた。


「蒼、部長からの連絡だ。翔太と一緒に、二キロ地点に行ってこい。ヘルプだ」


 応援するのはどこであろうとできる。眉を寄せた範昭に頷いて、蒼は翔太を探しにベンチへ走った。


「翔太! 一緒に来てくれ」

「んー? わかったー」


 それだけの言葉でも快く腰を上げてくれる翔太に感謝して、蒼は二キロ地点へと走る。

 計測班としてサポートをしてくれている野々口のヘルプということは、野々口はもしや久蓮の迎えだろうか。いまだ会場に姿を見せていない主将を思うと、蒼は胸がチクチクと痛んでしかたなかった。


 黙り込んだ蒼の背を、ぽん、と翔太が叩いた。静謐を湛えた瞳で、笑顔を浮かべている。

 そうだ、焦ってどうする。


 二キロ地点はすぐに見えてきた。唯の姿はなく、一人立つ瑠衣に手を振って声をかける。


「東雲!」

「如月くん、桃谷くん! 来てくれてありがとう、助かる! タイム伝達お願いね」

「任せて。一キロ地点は?」

「林野くんがいる」


 野々口だけでなく、瑠衣も唯も抜けるとなると、久蓮の迎えには少し仰々しい気もするが。ともあれ、陸上未経験者の峰雄がひとりきりでは心細いだろう。


「僕、一キロ地点行くわ。林野こっちに寄越すから、翔太、二人でやってくれるか?」

「りょーかい!」


 胸騒ぎに気がつかないふりをして、蒼は一キロ地点へと走った。



『大介先輩一位通過。二位帝北大、十五秒差』


 三周目の大介を見送って、通過タイムをLINEに上げる。詰められると分かっていたはずだが、やはり焦りが募る。


「大介先輩、お願いします……!」


 コースの反対側を走る彼に届けと、祈りを込めて、蒼はその名を呟いた。


「お疲れ様です」


 背後から声をかけられ、蒼は勢いよく振り返った。


「昂さん! もう体はいいんですか?」

「すみません。ご迷惑をおかけしました」

「そんなのはいいんですけど……」


 昴は、しっかりした足取りで立ち微笑んでいる。若干顔が青白いが、いつもの彼だった。「久蓮の役に立てたなら、俺はいいんだ」と呟く昴に、蒼は渋い顔を隠せない。

 久蓮も久蓮だが、昴も大概だ。お互いのことは心配するくせに自分のことには無頓着とは、範昭の苦労が覗えて、蒼は肩を竦めた。


「ご一緒しても?」


 蒼の頷きを待ってとなりに並んだ昴は、自責の念が浮かぶ険しい表情でレースの経過を追っていた。


「ここからは、どれだけ粘れるかが鍵ですね」

「ええ」


 下手な慰めはかけたくなくて、蒼はレースのことを口に乗せた。

 このあとに控える麻矢と裕也は、帝北大の選手とは地力の差があるが、彼らが差を最小限にとどめられれば、久蓮は必ず追いつくだろう。


「大介先輩! 行けますっ──行きましょうっ!」


 蒼は声を上げた。


 大介を引き離せず完全に並走している帝北大・榎本ももうギリギリで余力はない。もう一度力を貯めて、ラストの勝負に懸けようとしている。

 つまり、その前に引き離してしまうが吉。

 蒼の声に反応した大介が、わずかに口角を上げたのが見えた。


『一キロ地点、大介先輩、帝北大 差なし』


 レースの経過を打ち込んで、蒼はコースの先を見つめた。

 雨は降り続いている。


──────

【五区→六区】

一位通過 極北大(御影大介→夜神麻矢)

二位通過 帝北大(仲木戸洋→塩原健翔)+二秒

三位通過 極教大(榎本薫→新屋源太)+四分十秒

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ