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夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第三章】如月蒼の選択
23/51

二十二.想いの密度


 雨が、降り続いている。一昨日からやむことなく大地を濡らし続ける雫を、蒼は車窓からぼんやり眺めていた。

 現在時刻は朝の六時半。前半区間を走る四人は、駅伝会場である『シノロ川公園』に向け、野々口の運転するバンに揺られていた。


 会場へと到着し、蒼は芝生を踏みしめる。

 北海道とはいえ、八月ともなれば三十度を超える暑さも珍しくない。けれど陽のない今日は、『ぬるい』と表現するのがせいぜいで、朝ともなれば少し肌寒いほどだ。

 ぴんと張り詰めた静寂に、緊張感と闘志が漂う。


 スタート地点 兼 中継地点から少し外れたこの場所は、静かでいい。蒼はいつもの大会のように、翔太とベンチ作りにとりかかる。


「蒼! お前、ベンチの準備くらい俺らがやっとくから、そろそろアップ行ってこいよ」

「は、はい!」


 範昭に声をかけられた蒼は、返事をする間に手際よく設営の道具を奪われて追い出されるようにアップへ向かう。


 冷えないようにカッパを羽織りやってきたのは、試走でいつも使っていた広い芝生の脇、街路樹に囲まれたアスファルトだ。芝生でアップもよかったが、この雨ではシューズどころかジャージの裾まで濡れてしまう。


 少し固いだろうか、と走りながら調子を確認する。努めてゆっくりのペースから、徐々に普段どおりの走りへ。身体が解れていくと同時に、レースに向けて心も整っていく。「良い仕上がりだ」と呟いて、蒼は口角を上げた。


 招集を済ませて皆のいるベンチに戻ると、集合の輪の中に久蓮の姿はない。最終八区のスタートは昼近くなので、それに合わせて会場入りするのは特におかしいことではないのだが、蒼は久蓮不在の違和感にそっと眉を寄せた。

 いけない、と蒼は首を振る。集中しなければ。


 目を閉じると、心の内からじわりと熱がのぼり、挑戦的な久蓮の笑みが脳裏を過った。


『冷静に、──熱くなれ』


 青銀に揺れる襷を掲げ、蒼は気合を入れた。


「それじゃ、皆。──いってきます!」



 降りしきる雨も喧騒も全てが遠く、蒼は小さく口角を上げた。この感覚はいい。目の前のレースだけに集中している証だ。

 現在時刻は、八時五分前。他の一区の選手たちとスタートラインに並び、軽く最後の流しを入れた。


 沿道に並ぶチームメイトたちの顔を順々に眺めると、不思議な気持ちが蒼の胸を満たした。無数のレースを走ってきた高校時代には、こんなふうに温かく見送られたことがあっただろうか。


 皆の姿がこんなにも心強いとは、知らなかった。

 肩から下げた襷ごと、ユニフォームの胸を掴んで握り締めた。肩にかかる重みが心地よい。コースの先を見据え、ゆっくり長く息を吐く。


「On your mark──」


 午前八時、号砲が響き渡った。


──────

【一区:十四.六キロ】極北大:如月蒼(一)、極教大:宮田晃(一)、帝北大:東城皇(四)

──────


 走りはじめてすぐに、蒼はとなりを走る皇の不調に気がついた。複数人の靴音が鳴り響く中、わずかに(いびつ)なリズムが耳を打つ。

 前日ミーティングで、久蓮は「皇は怪我をしているから一区に回された」と言っていた。


 気がつけばすでに五キロ過ぎ、先頭は蒼のほか皇と晃だけだ。晃の動きが良く、怪我のせいか今一つキレがない皇も実力と経験で食らいついてくる。


 このままでは埒が明かない。蒼は深呼吸をして焦るな、と胸に手を当てた。

 策はないかと思考を巡らせると、豪雨の中、容赦ない揺さぶりで蒼を完膚なきまでに叩きのめした、あの日の久蓮の姿が脳裏に浮かぶ。


 もう一度大きく息を吸い込み、蒼は押し寄せる波のようにペースを乱高下させた。とたんに、晃が息をのむ気配がする。


 ひっきりなしにペースを上下させるのは、蒼自身かなりきつい。

 けれど、──まだいける。伸びやかに動く身体が、「もっと速く、もっと先へ」と蒼を急かしていた。


 十キロ過ぎ、レースもあと四キロを残して晃の気配が後方へ消えた。残された気配は蒼と皇、二人分だ。

 主導権を握り続けてきた蒼にも、疲れが忍びよってきた。雨水を吸ったユニフォームも襷も、疲労が溜まってきた自らの手足も重い。乱れる呼吸を押さえつけて、リズムを刻む。

 皇は雨にまみれても判るほどに汗をかきながらも、離れる気配がない。


「……だっさいな、ホント」


 悔しさ滲む自嘲を零した皇は、蒼に視線を流して鋭い笑みを見せた。冷や汗に濡れた瞳に、(つい)えぬ焔が揺らめく。


「──けど、『これ』が俺の選んだ路なんだ。どれだけ苦しかろうと、いまさら後悔なんかない!」


 瞬間、皇のペースが跳ね上がる。到底怪我を抱えているとは思えない、鋭いペースアップだ。


「あなたの事情なんて知らない! 想いの濃さなら、絶対に負けるか……!」


 残り三キロと少し、──今だ。

 蒼は、ぐっとペースを上げて首位を奪還した。

 呼吸が乱れ、沿道の声援も拍手も、どちらに向けられたものか判然としない。感じるのはお互いの気配と闘志だけだ。


「絶対、勝つ──!」


 必死にフォームを維持して先を目指し、腕を振る。辛い。苦しい。

 じりじりと、皇の気配が後方へと消えていくのを、背中で感じた。そして、中継地点。手を振る範昭が、その向こうで沿道に並ぶチームメイトたちの姿が、蒼の視界に映った。


 となりには、もう誰もいない。襷を外して握り締め、蒼はさらにスピードを上げた。


「蒼!」

「ノリ、先輩……!」

「任せろ」

「お願いしますッ!」


 紺銀の襷と共に、──押したその背と共に想いを託し、祈るように声を絞り出す。駆け出す背を見つめる蒼に、紺銀の背がひらりと手を振った。


──────

【一区→二区】

一位通過 極北大(如月蒼→清野範昭)

二位通過 帝北大(東城皇→長嶺歩夢)+三十二秒

三位通過 極教大(宮田晃→小隈健太)+一分四十秒

──────

【二区:十三.二キロ】 極北大:清野範昭(四)、極教大:小隈健太(四)、帝北大:長嶺歩夢(二)

──────


 範昭が道の先に消えたのを確認し、膝に手をつく。空気を求めて、激しく呼吸を繰り返した。


「あお! すごかったよ!」


 アップを終えたらしい翔太の瞳が眩しい。バスタオルをかけてくれた真平が、少しの苦みを滲ませて言った。


「お疲れ。……悔しいけど、ボクじゃここまでできなかった。ありがとう」


 蒼のレースは終わってしまったけれど、極大(蒼たち)のレースははじまったばかりだ。いまの自分が皆に出来ることを考えながら、蒼はダウンへと向かった。



 身体に猛る熱を、柔らかな雨がほどよく洗い流す。大きく息を吸い込むと、すっと視界のもやが晴れた。

 ゆっくりと身体を動かすと、徐々に重い手足に血が巡り、筋肉の強張りがほぐれていく。身体の隅々から疲れを流し取っていくこの感覚が、蒼は好きだった。


 コースを外れると喧騒は遠く、選手たちも疎らだ。レースとは逆走していた蒼の視界には、見慣れた青銀のジャージが映る。

 あそこは二キロ地点、唯と瑠衣だ。少し遠めから声をかけると、彼女たちが手を振った。


「レースは?」

「さっき、ここを通過したとこ」


 問いかけた蒼に、瑠衣はスマホの画面をかざす。今回のレースでは、各地点のサポート勢がLINEに経過を共有しているのだ。


『二周目、二キロ地点。一位清野くん、二位帝北大 四秒差』


 瑠衣たちが送った経過は想定内だが、中々に苦しい展開だ。画面を眺めていると、通知音と共に文字が浮かぶ。中継地点、真平だ。


『三周目、中継地点。一位帝北大、二位ノリ先輩 五秒差』

「清野さん、頑張って!」


 瑠依が祈るように呟いた。自分のことのように応援してくれていることが、蒼は嬉しい。


 ダウンジョグを再開してすぐに、黒紫が駆け抜ける。長嶺(ながみね) 歩夢(あゆむ)は、二年生ながらに帝北大の四番手だ。どことなく底知れない雰囲気は、皇を思わせる。

 少しして、範昭も通過した。かなりキツそうな呼吸だが、足取りも表情もしっかりとしている。


「ノリ先輩! ファイトっ!」


 蒼の声援に、範昭がひらりと手を振って応えた。

 さらにコースを逆走すると、一キロ地点、野々口と峰雄の姿が見えた。


「お疲れ様です。良い走りでしたね」

「如月、お前陸上馬鹿だとは知っていたが、そんなに速かったのか」


 驚きと尊敬の入り交じった峰雄の視線が照れ臭く、蒼は頬を掻いて目をそらした。


「その、……どうかな? 駅伝は」

「心の底から来て良かったと思うぞ。……そろそろ桃谷がスタートだろう。行ってやれ」

「うん!」


 掛け値なしの峰雄の言葉に背を押され、蒼は中継地点へ向かう。極北大ベンチには、膝を抱え込んで座る翔太の姿があった。


「緊張してるね」

「だって、蒼もノリ先輩もすごいじゃん……」


 翔太は頬を膨らませて抗議した。フグのようにむくれた顔に、蒼の驚きはすぐに笑いに取って代わった。


「あっはは! なーんだ、それなら大丈夫だよ。お前頑張ってるだろ? 絶対成果出るって! だって、僕たちがいつもこなしてるのは、ノリ先輩も恐れ(おのの)く鬼メニュー──ってね。ノリ先輩より怖いものなんて、なかなか思いつかないくらいなのにさ!」

「たしかに! そうするとおれたち、怖いものなしかも」


 クスクス笑う翔太の瞳に輝きが戻り、蒼は胸を撫で下ろした。


「ありがと、蒼! おれ、行ってくる!」

「ああ!」



 沿道に移動して、スタートラインに立つ翔太を見つめる。自信みなぎるその姿に、口角が上がった。

 突如、歓声が上がる。コースの先に見えた帝北大の黒紫のユニフォームはみるみるうちに大きくなり、襷リレーをして目の前を駆け抜けていった。巻き起こった風に、蒼は思わず目を細める。


 瞬間、コースの先に見慣れた紺銀が現れた。


「ノリ先輩! ラスト!」


 渾身のラストスパートで、範昭はあっというまに翔太に迫った。ひときわ大きな歓声が上がり、襷が渡る。


「行ってこい!」

「はい!」


 三区翔太へ。想いは、繋がった。


──────

【二区→三区】

一位通過 帝北大(長嶺歩夢→長都俊平)

二位通過 極北大(清野範昭→桃谷翔太)+四十五秒

三位通過 極教大(小隈健太→飽田信次郎)+二分十二秒

 

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