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夢の続き─極北大学陸上競技部の軌跡─  作者: 灰猫
【第三章】如月蒼の選択
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二十一.決戦前夜


 カーテンの隙間から射し込む朝陽が眩しい。鳴り響くアラームを止めて、大きく伸びをひとつ。

 四ヶ月前から始まった大学生活も、かなり様になってきたと思う。はじめは外食と惣菜に頼りきりだった蒼だが、いまでは久蓮に習って少しずつ料理に挑戦している。卵を割り潰して久蓮に笑われたのもいまは昔、気持ちよく食べられるくらいには成長した。


 朝食は簡単に、目玉焼きと味噌汁。久蓮の作るそれには到底及ばなくとも、そこそこの出来だ。朝食を摂り終わったら、歯を磨き、教科書を鞄へと詰め込む。


 現在時刻は八時過ぎ、講義を受ける教養棟までは徒歩二十分だ。そのまま教室へ向かうにはすこし早いけれど、蒼はのんびりと歩くことに決め、そのまま家を出た。

 入道雲を仰ぐと、抜けるような青さが目に沁みた。温度を持ちはじめた空気を深く吸い込んで歩き出す。吹き抜ける風が、わずかに汗ばんだ肌に心地よかった。


「よ! 陸上少年」

「あ、おはよう! 如月くん」


 講義室には皆が揃っていた。リラックスモードな彼らに声をかけられて、蒼は回り道しすぎたかと苦笑する。


 一限目、化学を担当する教授が、教室に入ってきた。「課題はやってきましたか?」と告げた彼のゆるりとした雰囲気は、どこか野々口に似ている。「やべっ」と呟きが聞こえた。

 蒼はくすりと笑って、冷や汗をかいている友人、阿久津(あくつ) 修司(しゅうじ)にノートを渡した。



 終業の本鈴が鳴り、学生たちの喧騒が大きくなった。


「お昼どうするー?」


 瑠衣の問いかけに修司がビシリと手を上げた。


「肉! 俺、肉食いたい! 蒼も食べたいだろ?」

「僕は、何でもいいよ」

「二人ともいつも同じ台詞よね……」


 瑠衣は呆れたように肩をすくめた。


 足を運んだのは、もはや常連となりつつある大学近くのステーキハウスだ。もぐもぐと厚い牛肉を頬張りながら、修司が問いかけてきた。


「蒼、もうすぐ試合なんだろ? 試合前って練習忙しいんじゃないのか?」

「いや、鍛錬期の方が忙しいよ。直前はコンディションを整えるために量を減らす時期だから、むしろひまなくらい。直前まで下手に足掻いても、最高の走りが出来るってわけじゃないから」


 修治が身を乗り出して『陸上競技部の調整』に食いついてくるので、どこか嬉しくなった蒼はねだられるままに言葉を紡ぐ。


「ふーん。球技とは違うのな」


 蒼は「そうなの?」と首をかしげた。たしかに修治は、試合が近くなると昼食会への出席率も下がるが、陸上一筋の蒼にはイメージしづらかった。


「俺たちは、直前までボール触ってるぜ」

「ボールに触った数、ラケットとかバットを振った数が物を言う世界だからねぇ。林野くんも、高校時代サッカー部だったんでしょ?」

「ああ、そうだ。サッカーも基本的には同じだな」


 三人が語る球技の世界は、蒼にとっては未知のものだ。


「それで、試合はどうなんだよ。いけそうなのか?」


 修治がまた身を乗り出してきた。


「うん、絶対勝つさ」

「すげー自信」

「当然!」


 はじめから弱気で臨んでも意味はないし、ましてや、久蓮の大切なレースだ。

 瑠衣が「はい」と手を挙げた。


「ねぇ。それ、どこでやるの? てか、見に行ける?」

「シノロ川公園ってとこ。閉鎖するわけじゃないから、自由に出入りできるよ」


 『シノロ川公園』は、極大から北東にバスで三十分少しの場所にある広い公園だ。敷地内にテニスコートや野球場、噴水広場に丘まで存在する。試走に訪れたときも、人々は思い思いの時間を過ごしていた。

 続く瑠衣の言葉に、蒼は目を瞬かせた。


「え、それなら行きたいな」



 駅伝前日、夕方。試合前最後のミーティングのため、陸上部員一同はサークル棟の一室へと集まっていた。


「はじめに、助っ人を紹介しよう! 東雲さんに、林野くん。蒼の同期だ。今回の駅伝に応援兼手伝いとして参加してくれる。部長や唯ちゃん先輩と一緒に、一キロ地点と二キロ地点でサポートをしてもらう予定だ。感謝するように!」


 久蓮の視線の先に友人たちが立っているというのは、なんだか不思議で、けれどとても心強い。

 ちなみにここに修治が居ないのは、野球部の試合と被っていたからである。瑠衣と峰雄が手伝いにと立候補したとき、修治は本気で悔しがっていた。


『だーっ! なんだよ、俺だけ部活かよ。……ちぇっ、応援してるぞ!』


 これは、そのときの悲しい叫びだ。思い出して口角を上げていた蒼の鼓膜を、久蓮の声が揺らした。


「それじゃ、ゼッケンを配る! ──蒼」


 自身の名を呼ばれた蒼が久蓮の前へと進み出ると、久蓮が「頼んだ」と言った。手渡されたのは、学校の番号のほかに『一』がプリントされたゼッケンと、紺色の地に輝く銀の文字が目映い極北大の襷だ。

 受け取った手に感じる重みで、蒼ははじまりを実感した。


「必ず、勝ちます」


 低く掠れた声が出た。久蓮の口元が弧を描く。

 蒼が自分の席へと戻ろうとしたとき、真平が手を挙げて「『あれ』やってくださいよ、久蓮さん」と言った。一瞬目を瞬かせた久蓮は、「懐かしいね」と呟いて蒼へ手招きをする。


「回れ、右」


 反射で後ろを向いた蒼の背を、久蓮がトントンと二回軽く叩き──。


 パンッ!


 走った軽い衝撃と共に背筋を痺れが駆け抜けて、腹の底から熱い気持ちが湧き上がってくる。


「高校のころ、ボクたち皆やってもらってたの。元気出るでしょ?」


 真平が自慢げに笑った。

 こうして、オーダー順に皆がゼッケンと久蓮の激励を受け取った。静かに心を猛らせている部員たちに笑みを浮かべ、久蓮が息を吸い込んだ。


「勝つぞ!」

「おお!」


 心はすでに、明日のレースへと()んでいた。


──────

【極北大学 オーダー】

一区:十四.六キロ 如月蒼 (一)

二区:十三.二キロ 清野範昭(四)

三区:九.五キロ  桃谷翔太(一)

四区:十四.〇キロ 六連昴 (五)

五区:十一.六キロ 御影大介(三)

六区:十二.三キロ 夜神麻矢(三)

七区:十一.九キロ 富樫裕也(二)

八区:十九.七キロ 篠崎久蓮(四)

 

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