十七.キョクノウDC
ジリジリと照りつける七月の太陽は、それでも本州のものとすればいくらか優しい。
迎えた『キョクノウ ディスタンス チャレンジ』、通称〈キョクノウDC〉。第三回目の今回は、網走市が会場となっている。
レンタカーを借りて市営の競技場まで足を運んだ極大メンバーは、昴、範昭、真平、翔太と蒼の五人だけれど、走るのは蒼だけだ。
競技場に足を踏み入れるなり、「すっげー!」と翔太が叫ぶ。
トラックでは女子五千メートルが行われていた。ピリリと張り詰めた緊張感が肌に心地よく、久々に強く感じた上を目指す者たちの雰囲気に、高校時代には身近だったはずの感覚が戻ってくる。
蒼は、受付で渡されたプログラムをパラパラとめくる。久蓮の力になるため、なんとしてでも結果を残さなければならないと思った。
陽が傾きかけたころ、蒼は五千メートルのスタートラインに立っていた。学生や実業団チームのトップが集まる最終A組が、蒼のレースだ。
ふと強い視線を感じて振り返ると、蒼を睨んでいたのは、関東の強豪 駒河大学の選手だった。蒼が面識のない青年からの『怒り』に戸惑ううちに、彼はふいと視線をそらした。
「──On your mark. 」
コールがかかり、スターターピストルの音が鳴り響く。二人の外国人選手が競り合いながら飛び出し、少し間を開けて実業団と有名大学の選手たちが第二集団を形成した。
蒼は第二集団のうしろについて、少しでも前に出る機会を窺っていた。ペースは集団先頭で十三分半を切る程度、蒼のベストは十三分四十二秒なのでややオーバーペース気味だ。
レース中盤に差しかかるころには、蒼は第二集団から遅れたメンバーの第三集団にいた。それでも余力はなく、こんな調子で本当に久蓮を支えられるのかと焦りがにじむ。彼が走れば、当然のように先頭で競り合っていただろうに。
鳴り響く鐘がラスト一周を告げた。ただ前を目指して、スピードを上げる。久蓮と競い合ったあの記録会よりも速いのに、蒼の心を占めるのは物足りなさと焦りばかりだ。
そんな自身の心に気づかないフリをして、蒼はゴールラインを割った。膝に手をついて荒れた呼吸を整えていると、範昭に声をかけられた。
「お疲れ。中々良かったんじゃねぇの」
十六着という事実が苦く、蒼は首を振る。高校時代の自己ベストすら上位陣には遠く及ばないのに、十四分を切るのがやっとでは全然足りない。
ベンチへ向かう足取りは、疲労と不甲斐なさに包まれて酷く重く感じた。
「──おい」
背後から低く鋭く呼び掛けられ、蒼は驚き振り返った。声の主は、レース前に蒼を睨んでいた駒河大の選手だ。
「奥村 紫吹。真平の同期で久蓮の後輩だ。お前、何かしたのか?」
囁きかける範昭に首を振る。このあいだ久蓮から語られた『彼の事情』を知る人物だと分かったが、絡まれる謂れはなかった。
こちらへ突き進んでくる奥村は、レース前と変わらず鋭く光る瞳で蒼を射抜いていた。
「今のお前は焦るばかりで、ちっとも美しくない。あの人は、そんな無様な走り求めてないぞ」
力が足りていないことなど、他人から言われなくても解っている。それに、この競技はタイムを競うものだから、美しかろうが勝てなければ意味はないだろう。
「コラコラ、なーに絡んでる? やめろ、紫吹」
奥村を止めたのは、同じ駒河大の選手だった。範昭が目を見開いて青年の名を呼ぶ。
「……眞田!」
「よ、清野君。悪ぃな、コイツが」
「なんで俺の名前……。……いや、お前も大変だな。学生最強の主将がお守りかよ」
「ウチの奴らは問題児ばかりでな。まあ、キリキリ走ってもらうさ」
奥村は先輩の登場にも怯まずに、蒼を射すくめた。
「お前は、あの人と走りたいんじゃないのか? もしそうなら! ……甘ったれた走りしてんなよ」
「甘ったれてなんかいません、僕は本気で──」
「コラ、いい加減にしろ」
ヒートアップする会話に、眞田が割って入った。
「愁平さん……」
「帰るぞ」
「でも──」
「いいから。お前が篠崎を大切に想うのは分かるぜ? だがな、今日の走りは人の事とやかく言えねぇよ? ……これ以上、他所様に迷惑かけんなら、罰走させんぞ」
「……すいません」
「じゃ、清野君。騒いで悪かった、篠崎にヨロシクな」
「ああ」
眞田は笑顔のままだが、軽い調子の言葉には有無を言わせぬ威厳がある。
「君も。そんなに思い詰めなくていいと思うぞ、──如月君」
ふとこちらへ視線を向けた眞田が苦笑を浮かべ、去っていく。
しばらく呆然としていた蒼は、自身がまだユニフォームのままなことに気づき、慌てて上着を手にした。
暗い帳の降りた高速道路をひた走る。街灯が気紛れに切り裂く闇の中で、蒼はぼんやりと窓の外を眺めていた。
ただただ、力の無さを思い知らされた。
帝北大は、関東の強豪校から集められた精鋭だ。あの日『足りない分は、オレが走って埋めるから』と笑みを浮かべた彼は、どれだけのペースで駆け抜けるつもりだったのだろうか。
「寝ていてもいいですよ、蒼さん。今日一番疲れたのは、あなたでしょう?」
ぽつりと昴が呟いた。その声色は蒼の思考を遮って包み込むようだ。
いやに静かだと思ったら、知らないうちに皆夢の中だった。「眠くはないんです」と答えると、昴が苦笑する気配が伝わってくる。
「……僕は、間違っていますか?」
迷ったすえに、蒼はそう問いかけた。否定され、弱気になっていたのかもしれない。少し思案したあと、昴は逆に問いを返してきた。
「──あなたは、どう思いますか?」
「間違ってない。……少なくとも、僕にはこれしか思いつかない」
「……君の好きに進んでみればいい」
突き放すような言葉が、強く蒼の背中を押す。頷きひとつ、再び視線を窓の外に戻した蒼は思考を再開した。
いまの蒼が久蓮のためにできることは──。
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【男子五千メートルA 結果】
一着 張劉瑋 アディオン 十三分十一秒
二着 ケイン・ルワシエ アディオン 十三分十四秒
三着 深松誠司 ムーンベルク 十三分二十二秒
四着 清島駿佑 キヨタ 十三分三十秒
五着 後藤瑛吾 キヨタ 十三分三十五秒
六着 瑞籬零 キヨタ 十三分三十五秒
七着 東城侑 アディオン 十三分三十九秒
八着 眞田愁平(四)駒河大 十三分四十二秒
九着 鏑木涼太郎(四)青谷学院大 十三分四十三秒
十着 藍堂英佑(四)青谷学院大 十三分四十四秒
十一着 降矢湊(三)駒河大 十三分五十一秒
十二着 神代傑(四)青谷学院大 十三分五十二秒
十三着 汐留撰 ムーンベルク 十三分五十五秒
十四着 阿藤泰希 夕日化成 十三分五十六秒
十五着 奥村紫吹(二)駒河大 十三分五十六秒
十六着 如月蒼(一)極北大 十三分五十九秒
十七着 水城澪(二)青谷学院大 十三分五十九秒
十八着 北村洸(三)駒河大 十四分〇秒
十九着 矢萩玲弥(四)銘華大 十四分五秒
二十着 新見栄司 キヨタ 十四分十秒
二十一着 恵那克己(四)泰堂大 十四分十一秒
二十二着 高槻楓 ムーンベルク 十四分十一秒
二十三着 廣田隼人(三)帝都体育大 十四分十二秒
二十四着 那須伊織(一)帝北大 十四分十八秒
二十五着 綾川雄大(一)帝都体育大 十四分二十秒




