第七話(エレナ視点)
今日は我が家とチャルスキー侯爵家の顔合わせの日、わたくしもヨシュアと初対面です。
さて、時間が惜しい。
あなたのような下衆な男が姉様に触れることすらおぞましいのです。
早くこの男をアリシア姉様から遠ざけましょう。
「初めまして。わたくし、エレナって申しますのぉ」
「あ、ああ、初めまして。エレナというのか、いい名前だ」
「ありがとうございますぅ。うふふ、ヨシュア様に名前を褒められちゃいましたぁ」
「いやー、思ったことを言ったまでさ」
手を握り、体を寄せて、笑顔を見せます。
二人も妊娠させていますし、女慣れしていると思っていたのですが、随分とだらしない顔をされるのですね。
これは、ただの女好きのパターンでしたか。
「アリシアも素朴で美人だと思っていたが、君も可愛いな。俺、エレナを選べば良かったかも」
顔合わせが始まって二時間くらい経った頃、酒も回ってきたのか、この男は平気で姉様がヨシュアの両親と会話しているスキにそんなことを話します。
ちょっと愛想を良くして、ボディタッチを増やしつつ褒めるだけですぐに心移りしましたね。
どうやら、そもそもアリシア姉様を婚約者として選んだのも、そこまで入れ込んだワケではないみたいです。
そろそろ、結婚をと考えていて手頃な女性を選んだだけなのでしょう。どうりで、ビンセントとシーラが見逃す訳です……。
「ぐすっ、ぐすっ、ヨシュア様ぁ。わたくし、アリシア姉様が羨ましいですぅ。わたくしも、ヨシュア様のような逞しい方に守って頂ければ、毎日安心ですのに」
「エレナ……、君は……」
「夜はお化けが怖くて眠れないこともありますしぃ、エレナは姉様と違って弱いですからぁ。いつも、強くて格好いいヨシュア様のような殿方がいれば、と思っておりましたぁ……」
こんな男に媚を売るなど屈辱の極みです。
今日はあくまでも顔合わせなので、姉様と婚約破棄まで決意させるつもりはありません。
しかし、それなりに気を引いておかねばなりませんから――わたくしの演技にも力が入るという訳です。
「そうか。そこまで、俺のことを……。わかった。アリシアとの婚約は破棄して、君と一緒になろう。君を守るよ――」
いや、早いですって!
ここまで早いと不安になるレベルですよ。
まぁ、簡単に心移りをするくらいの最低な男だということは分かりましたが……。
「そう仰ってもらえて嬉しいですぅ。でもぉ、アリシア姉様に悪いですからぁ」
さすがにたったの二時間で婚約破棄などされたら、色々と面倒というか姉様に再び執着する可能性もありますので、もう少し間を置くことにしました。
何度か秘密裏に逢い引きして、姉様の悪口を吹き込み――心を完全にアリシア姉様から引き離したことを確認して、ヨシュアには彼女に婚約破棄したいと告げさせます。
「アリシア、お前は強い女だ。恐らく自分一人でも何でも出来るし、素晴らしい人だと思う」
「ヨシュア様……?」
「だが、このエレナは俺がいなきゃ駄目なんだ。だから、俺はエレナを守りながら添い遂げたいと誓った。悪いが婚約破棄させてもらう!」
これで、アリシア姉様からヨシュアを切り離すことに成功しました。
あとは、どうやってこの男を二度と姉様の前に立たせなくさせる、かですが――。
◆ ◆ ◆
「ヨシュア様ぁ! ヨシュア様!」
「エレナ、走らなくてもいいぞ。危ないから」
「きゃっ……!」
何もないところで転ぶ演技にも磨きがかかりましたね。
男の人の腕が届くギリギリを見定めて、飛び込む――昔は何度か失敗して膝を打ったりしたものです。
それはそれで、心配してもらえるのでアリなのですが。
「ご、ごめんなさい。わたくしったら、いつもドジで……。ヨシュア様の腕、とても逞しいですわ」
「大丈夫だよ。俺が君を守ってやる。君は何も心配しなくて良いんだ」
なんで、どの男も大抵「守る」って言うのでしょう。そう言ったら女が喜ぶってマニュアルでも出回っているのでしょうか……。
「でもぉ、アリシア姉様に悪い気もしてきましたわ。随分と落ち込んでいましたからぁ」
「ははっ、あんな詰まらない女のことなんて、君が気に病む必要はないぞ。正式に俺の婚約者になったんだ。何か文句言われたら、俺が説教してやる」
この男、本当にクズですわね。
自分が婚約破棄した相手に説教なんて――恥というものを知らないのでしょうか?
ベタベタ触らないでくださる? わたくし、そんな安い女ではありませんの。
もう限界ですわ。ちょっと早いですが終わりにしましょう……。
ビンセントたちも準備は出来ていると思いますし。
◆ ◆ ◆
会食を終えたあと、わたくしはワザと目立つ場所にハンカチを落として帰りました。
あのヨシュアという男がどれだけ鈍感でも馬車に届けに来るくらいはするでしょう。
――遅いですね。まだ気付かないのですか。
「エレナ様~~、来られましたよ~~」
こっそりと外の様子を確認していたシーラがヨシュアがこちらに来ていることを教えてくれました。
さて、大きな声を出すのは嫌なのですが――。
「ったく! 気持ち悪いんですよ! ことある毎にベタベタと触ってきて、臭い息を吹きかけてくるなんて!」
「自分のこと格好いいと、勘違いしてるのかやたらとキメ顔とか見せてきますし、笑いを堪えるこちらの身にもなって欲しいですわ! ちょっと、感じを良くすると馬鹿犬みたいに尻尾を振って! 頭の中身は空っぽのクセに性欲だけは人一倍ですのね……!」
「騙すのは簡単でしたが、ヨシュア様はハズレでしたわ。姉様のことをつまらないとか仰っていましたが、あの男の方が中身も頭も空っぽで余程つまらない男でしたから!」
九割方、本音を言ってやりました。
本当に腹が立っていましたので。
ここからの彼は傑作でしたね……。一人で激怒して、わたくしを罵り、そしてチャルスキー侯爵が外に出てくるまで間抜けな顔を晒していたのですから。
案の定、父親であるチャルスキー侯爵に怒られるヨシュア。
当然です。わたくし、侯爵にも気に入られるために顔合わせのときから色々としていたのですから。彼がわたくしの味方になってくれるのは計算済でしたわ。
「……やっぱり、ハズレ男ですね。これくらいで取り乱すんだもの」
「――この女!」
「「――っ!?」」
一発だけ、殴らせて差し上げますわ。
特別サービスですが、この一発は高くつきますよ。
あなた、わたくしの顔を叩いたのですから、無事でいられると思わないでくださいね。
「ヨシュア! 貴様というやつは! 女性に手を上げるとは何事だ! こんな短気なバカ息子だとは思わなかったぞ!」
「くっ……!」
必ず復讐してやるという顔をしていますね。
悪いですけど、復讐する側はこちらです。
そうやって、この方に意識を向けていたのですが――。
「エレナお嬢様、アルフォンス殿下がアリシアお嬢様に求婚されたようです」
警戒すべき相手が二人に増えてしまいました。
アルフォンス殿下ですか……。姉様が昔、川で溺れていたのを助けていましたっけ。
とっくに婚約していたと思っていましたからノーマークでしたわ――。




