第二話(ヨシュア視点)
いやー、結構、結構。噂には聞いていたが、アリシアの妹があんなに美しかったとはなぁ。
それに可愛いだけでなく、心も綺麗で俺に従順だ。
草花に挨拶をしている姿はまるで妖精のように愛らしかった。
彼女と接しているとアリシアの存在が路傍の石のように見えてきて、急につまらなくなったから不思議だ。
きっと俺にエレナこそが運命の人だと神様が教えてくれたのだろう。
「ヨシュア様ぁ! ヨシュア様!」
「エレナ、走らなくてもいいぞ。危ないから」
「きゃっ……!」
危なかっしい彼女は何もない所で転ぶ。
僕は慌てて彼女に手を伸ばすと、エレナは僕の胸の中に飛び込んできた。
いい匂いがするなぁ。それに華奢で、男ならこう……守ってあげたくなる。
「ご、ごめんなさい。わたくしったら、いつもドジで……。ヨシュア様の腕、とても逞しいですわ」
涙目で上目遣いで俺を見るエレナ。
ああ、俺は君のために生まれてきたんだな。今は、それを俺は理解したよ。
アリシアには悪いが、こいつは俺が守ってやらなきゃ駄目なんだ。
「大丈夫だよ。俺が君を守ってやる。君は何も心配しなくて良いんだ」
俺はエレナをギュッと抱きしめる。
彼女の体温が俺に伝わってきて、生きる力が湧いてきた。
最高の女を手に入れた俺は、侯爵家を更に繁栄させてみせる……!
「でもぉ、アリシア姉様に悪い気もしてきましたわ。随分と落ち込んでいましたからぁ」
「ははっ、あんな詰まらない女のことなんて、君が気に病む必要はないぞ。正式に俺の婚約者になったんだ。何か文句言われたら、俺が説教してやる」
そうか、アリシアのやつが幸せになろうとしているエレナを攻撃する可能性があるのか。
それは警戒しとかなきゃな。何かあったら、俺が守らなきゃならんし。
「ありがとうございます。ヨシュア様が守ってくれるのでしたら、心強いですわ」
ニコリと笑う彼女の表情に癒やされる。
俺は確かな幸福を感じながら、彼女との会食を終えた――。
◆ ◆ ◆
会食を終えて、エレナは帰っていく。
楽しい時間は過ぎるのが早いな。
「んっ? これはエレナのハンカチ? はは、そそっかしいな。どれ、俺が届けてやろう」
俺はハンカチを持って、屋敷の門から出た。
どうやら、エレナは馬車の中にもう入ったみたいだな。
おや、中から大声が聞こえるぞ……。
「ったく! 気持ち悪いんですよ! ことある毎にベタベタと触ってきて、臭い息を吹きかけてくるなんて!」
――んっ? こ、これはエレナの声なのか?
こんな口調の彼女の声を聞いたことがないが。
「自分のこと格好いいと、勘違いしてるのかやたらとキメ顔とか見せてきますし、笑いを堪えるこちらの身にもなって欲しいですわ! ちょっと、感じを良くすると馬鹿犬みたいに尻尾を振って! 頭の中身は空っぽのクセに性欲だけは人一倍ですのね……!」
長々と続く俺への罵倒とも取れる言葉。
ま、まさか。エレナのあの純真無垢で愛おしい感じって全部演技……?
いやいや、そんなはずはない。あの妖精のように可愛らしいエレナが――。
「騙すのは簡単でしたが、ヨシュア様はハズレでしたわ。姉様のことをつまらないとか仰っていましたが、あの男の方が中身も頭も空っぽで余程つまらない男でしたから」
……くっ! この俺を頭空っぽのつまらない男だと……!?
だ、騙された……! この女、俺を騙しやがって……! 許さない……!
◆ ◆ ◆
クソッ! あのクソ女……! 俺を騙しやがったな! 目にもの見せてくれる!
許さない! 許さない! 許さない!
俺は怒っていた。これほどまで怒りを感じたのは、屈辱を感じたのは、初めてだった!
「おいっ! エレナ! いるんだろ!? 出て来い! コラッ!」
力任せに馬車を叩き、エレナを呼び出す。
この女、どう説教してやろうか。この俺を騙したことを目にもの見せてくれる……!
心の綺麗な女を演じて、俺を弄びやがって……!
「あらぁ? ヨシュア様ではありませんかぁ。どうしましたの? そのような険しい顔つきになってしまわれて。大きな声を出されると怖いですわぁ」
「どうしたも、こうしたも、無い! お前、今まで俺のことを騙しやがったな!」
この女、さっきまでの罵声が嘘のように小首を傾げなら出てきやがった。
しらばっくれやがって! ネタはもう上がっているんだよ!
「さっきまで、俺の悪口を言っていただろう!? 全部聞いたぞ! 誰が馬鹿犬みたいだって!? 誰がハズレだって!?」
さっきまでこの女が嘲りながら述べていた悪口を俺は復唱する。
そうだ。俺は全部聞いていたのだ。
謝っても無駄だからな。全部お前の本性はお見通しなのだから。
「……あら、聞こえてしまいましたか。わたくしとしたことが、初歩的なミスをしてしまいましたわ」
「はぁ?」
「別に悪口くらい誰でも言いますでしょう? 本人に面と向かって言わないだけで。その程度のことで侯爵家の嫡男ともあろう方が、子供のように喚き散らして、恥ずかしくありませんの?」
な、なんだ、この女。
きゅ、急に雰囲気が変わった……?
氷のような冷たい目つきで俺を睨みつけてくるその表情は、さっきまでの愛くるしい彼女とまるで別物だった。
「どうした、ヨシュア。エレナさんの忘れ物を届けに行ったと思えば、彼女に大声で怒鳴りおって……」
「侯爵様ぁ……! 申し訳ありません! もう二度と、忘れ物はしませんので……お許し下さいまし! ぐすっ、ぐすっ、ぐすん……!」
「「――っ!?」」
こ、こいつ、いきなり豹変して父上に甘えたような口調で……!
これじゃ、まるでこの俺が忘れ物をしたエレナを過剰に叱りつけたみたいじゃないか。
父上、俺を睨みつけないで下さい。違うのです。
「ヨシュア! 貴様、たかがハンカチを忘れたくらいで、怒鳴るとは何事だ! 可哀想に、こんなにも震えているではないか……!」
「いや、違うのです! エレナが俺のことを悪く……!」
「ヨシュア様、申し訳ありません。わたくし、本当に反省しましたからぁ。お許しください……」
「よ、寄るな! この性悪女! くっ……!」
今度は俺の手を握って目を潤ませながら謝罪するエレナ。
こいつ、質が悪いやつだぞ。事実がこのままだと歪曲して伝わってしまう――。
「……やっぱり、ハズレ男ですね。これくらいで取り乱すんだもの」
エレナは耳元で俺にだけ聞こえるようにハズレ男だと呟く。
こ、この女~~~! 絶対に許すもんか!
「――きゃっ!!」
「「――っ!?」」
手が出てしまった。
俺は腹が立って、頭にカーッと血が上って、ついエレナに平手打ちしてしまう。
彼女は大袈裟に倒れ、砂埃まみれになった。
「ヨシュア! 貴様というやつは! 女性に手を上げるとは何事だ! こんな短気なバカ息子だとは思わなかったぞ!」
「侯爵様ぁ……! ふぇぇぇぇん! 怖いですわぁ!」
「よしよし、可哀想に。怖かったな。大丈夫だ。ワシがこのバカ息子をガツンと叱っておくから」
このとき、この女の恐ろしさを知った。
こいつ、泣きながら、俺を見て笑ったのだ。
まるで、自分に逆らうとどうなるのかと見せつけるように。
おのれ、エレナ!
そして、アリシアも許さん! 妹がこんな性悪女だと、何故俺に教えなかった――! 畜生……!