流行病にエリクサー
流行病にエリクサー
ある異世界の諺。
ある時、ある王国で流行病が起こり、時の王までもがこの病に倒れた。賢王と呼ばれた王を癒やすべく、各地に伝わる薬という薬が集められたが、流行病に効くものはなかった。
誰もが困り果てた中、偶然王国を訪れた高名な薬師が、一本のエリクサーを献上する。王の病は癒え、回復した王は、その薬師にエリクサーを作らせた。作らせたエリクサーを川に注ぐと、忽ち流行病は収まったという。
この故事から、「欲しいものが欲しい時に手に入ること」を表す諺として、この句が使われるようになった。(王と薬師の仔細については、諸説あるため明記しない)
しかし、魔法技術の発達と共にエリクサーの生産量が増加すると、流行病に対しては、エリクサーの効果が薄いことが判明した。場合によっては、容態が悪化することさえあった。
これに因り、この諺の意味は変化する。「名前ばかり先行して、内容の伴わないさま」という意味に変わったのだ。
……不思議なものである。何せ殆どの怪我や毒、呪いには、エリクサー以上の効果を持つ薬はないのである。
きっとそのことに思い至ったのだろう。少し後の資料から、「エリクサーに流行病」という諺が出てくるようになる。「完璧なものに見えても、必ず何処かに欠点がある」という意味だ。しかし、……原句と似過ぎていまいか?
懸念通り、この二つの諺は混同されるようになる。暫くすると、互いが両方の意味を持つようになった。
そうして、近代に入る。
科学技術の進歩に伴い、エリクサーが流行病に効かない理由がはっきりとしてきた。
エリクサーの効果の仕組みが、解明されたのである。
エリクサーは、生命体に対して効果を持つ生命活性剤である。魔力を認識し、対象となる生命の正常な形を捉えて、その修復を助ける。正常な形を捉えるため、後遺症もなく、非常に高い治癒効果がある。
しかし、人間の中には、人間とは別の様々な生命体がいる。ーー微生物である。
エリクサーの摂取後は、概ね、胃腸の調子が頗る良くなる。これは、人体側の理由もあるが、腸内細菌などの微生物が、エリクサーによって活性化して起こることだ。
しかし、体内の微生物も、良いものばかりではない。体内に入り込んだ病原体も、エリクサーの効果によって活性化してしまうのだ。
これこそが、流行病にエリクサーが効かない理由である。
活性化した病原体は、活性化した免疫との激しい競争を始める。エリクサーの摂取後に、熱が出るのはこのためだ。
ここで免疫が勝てば問題はない。しかし、一定以上病が進んでいた場合、免疫は病原体に負けてしまう。多くの流行病には潜伏期間があり、発病が確認された時点で、かなり病が進んでいることがある。これは、エリクサーが流行病に効かないことの、重要な理由の一つだ。
……このように、エリクサーは流行病に対して逆効果になりかねない。しかし先述のように、エリクサーは効果がない訳ではない。それどころか、本来の効能のままに働いていた。
この事実は、諺をさらに変えることになる。「流行病にエリクサー」の諺はこの後、「やり過ぎは良い結果を生まない」という意味になった。
二千年の間に、この諺は次々と意味を変えた。これ程数奇な道を辿った諺も珍しい。さらに最近は、故事に立ち返った用法が、再度広まって来ている。
筆者の生きている間に、この諺は三度目の転換を、達成するのかもしれない。
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原著:「諺の歴史」(抜粋)
著者: エーリク=エーピデミー
訳: 山井薬子




