宿場『世界樹の木陰』
「ハイファンタジーでいいのでは?」と思ったのですが、書いているうちによくわからなくなってきたので、「その他」でやる事にしました。世界観はツッコミどころ満載です。楽しんで頂けると幸いです。
ここは『世界樹の木陰』という、精霊達が経営し、姿なき者が利用する宿屋だ。世界樹がある宿屋として人気を博している。ここでは神、天使、悪魔、死神、精霊など、様々な姿なき者達が泊まる事が出来る。
さぁ、本日はどんなお客様が来るのか。女支配人のセレストは、いつもの様に笑顔でお客様を出迎える。
「ようこそ。世界樹の木陰へ」
宿屋・世界樹の木陰の受付には、穏やかな微笑みを浮かべる美女と、緊張で笑顔が強張っている、まだあどけない顔をした少女が立っていた。
「顔、強張っているけど、大丈夫?」
「だ……大丈夫……じゃないです!!」
少女は水色のポニーテールの揺らしながら、深い青の瞳に涙を溜めながら訴えた。
「今日は初めての受付業務だもんね。緊張もするかぁ」
人で言うと二十代前半くらい。茶髪を襟足でまとめている女性が、のんびり口調で穏やかな笑顔を浮かべた。
「粗相しそうで怖いです!!」
「大丈夫! 給仕は完璧って聞いたよ。この調子で受付もガンバロー!!」
「持ち上げないでください、支配人!!」
「私が横に居るんだから、何かあったらフォローするに決まってるじゃない。あ・来たよ」
入り口に目を向けると、短髪白髪の屈強そうな男が、ドアを開けてお客様をで迎えていた。入ってきたのは、頭からつま先まで黒のローブに隠れている、死神の男だった。
「セレストさん。久々!」
「お久しぶりです。トミー様」
一重のタレ目が唯一の特徴と言っても良い平凡な男は、嬉しそうな顔で支配人に近づいた。ちなみに死神は皆、黒い髪と瞳を持っている。
「また、こちらを選んで頂き、ありがとうございます」
「この地区の担当になったらココって決めているんだよ~! 一ヶ月間よろしく」
「はい。本日はこのユーニスが担当いたします」
「ユーニスです! よろしくお願いします」
「よろしく新人さん。俺はトミー。一ヶ月お世話になるよ」
そうして無事、手続きを済ませ、死神は意気揚々と部屋に向かった。
死神が見えなくなったのを確認して支配人は、新人に笑顔を向けた。
「うん、良かったよ。次のお客様もこんな感じで……」
「何でこの僕が出入り禁止なんだ!?」
その声に二人共、ドアへ目線を走らせた。
見るとドアマンの白髪の男が、天使と思われる男と言い争っている。
「あなたは前回、ここで暴力を働いたでしょう? 当宿屋でそう言ったお客様に対し、最低でも一年以降ではないと出入り出来ない決まりでございます」
「この僕を知らないのか? トップの成績で中天使になったハリスンだぞ!!」
「あなたが誰であろうと、今はお泊め出来ません!!」
中天使の男は顔を真っ赤にさせながら、それでも入れろと強い口調を崩さない。そこへ運悪く悪魔のお客様が来て、中に入る所を見てしまった中天使の男は、悪魔の男に向かって指差し怒鳴る。
「何で悪魔は泊まれるんだ!? あんな下種が泊まれるのに、どうして俺は泊まれないんだよ!!」
「誰が下種だって!?」
悪魔の男は中天使の男に身体を向ける。すると、その悪魔の男に向かって中天使の男が聖魔法を使い、光の速さで素早く移動し、殴ろうと拳を作った。慌てて白髪の男が自身の属性の風魔法で止めようとするが、間に合いそうにない。
もうダメかと思った瞬間、「ドゴン」と鈍い音が辺りに響いた。
見ると、宿屋の入り口の対面にある木に背を預け、尻もちをついた格好の中天使の男がいた。片方の頬は大きく腫れ、身体をピクピクとさせている。
さっきまで中天使の男がいた所を見ると、支配人が正拳突きの状態で固まっていた。そして姿勢を正し、中天使の男に目をやりながら口を開いた。
「他のお客様にご迷惑がかかりますので、正当防衛をさせて頂きました。この事は天界に報告させて頂きます。本日のお泊まりは、別の宿をお取り願います」
スタスタとその中天使の男に近づいた支配人は、紙を渡した。
「こちら、近隣の宿の一覧です。どうぞ、お役立てくださいませ」
ニッコリと穏やかな笑みを向けると、中天使の男はコクコクと壊れたおもちゃのようにうなずいた。
そして、固まっていた悪魔の男をご案内する。
「お待たせして申し訳ございません、モーリス様。さぁ、こちらへ」
「あ……強かったんだね。支配人」
そんな華奢そうな身体で……と小さく呟くと、ニッコリと微笑む。
「女には色々秘密があるのですよ」
周りにいた皆がゾッとした事は、言うまでもない。
ここ最近、こう言った天使が後を絶たない。それはこの宿のみならず、他の宿でも悩みのタネとなっていた。
「本当困るわ。私がおイタをしなきゃいけないなんて……」
小さくため息をつく支配人に対して、新人がビクビクしながら尋ねた。
「支配人て……地の大精霊でしたっけ?」
「そうよ」
「だからさっき、あんな事が出来たんですか?」
「あれは私だけかなぁ。皆、土や植物にお願いして攻撃するね」
土や植物にお願いすると言う事は、地魔法を使うと言う事だ。さっきのは魔法ではないらしい。普通、女の精霊は体術を使ったりしない。
「お強いんですね……」
「やだー!! これくらいユーニスだって魔法使えば出来るよ~。水の中精霊でしょう?」
さっきから中とか大とか付いているのは、階級である。姿なき者の階級は小・中・大・王の四つに別れている。上に行くほど、魔力量が多くなるのだ。この宿の従業員は中以上の精霊でなければ、仕事に就くことすら出来ない。
「まぁ……魔法を使えば……」
「さっきみたいな事があったら、遠慮なくやっちゃってね。勿論違反したのを正しく理解した上で」
「……出来ますかね?」
「大丈夫。今は私がついてるから」
「……めっちゃ心強いです」
ユーニスは怖がりながらも、支配人に尊敬の眼差しを送った。
受付の交代時間が来て、支配人と新人のその日の仕事は終了した。
「お疲れ様です」
「お疲れ様。ゆっくり休んでね」
「はい」
新人を見送って、支配人はある場所へ向かった。
到着すると、敷地内の中央にそびえ立つ、世界樹を見上げる。
支配人は世界樹に手を当てると、さわさわと葉がざわめいた。
「悪さをする植物がいるのですね。かしこまりました。処理して参ります」
すぐに支配人はその場所へ向かうと、世界樹の根に寄生しようとするツルを見つけた。
「ごめんなさい。世界樹が迷惑しているので、出て行って貰いますね」
そう言ってから、ツルを引っ張り、根ごと引き抜いた。このツルが世界樹の養分を摂取し寄生しようとして居たらしい。
「あ・遅かった」
支配人が振り返ると、そこにはブレントと言う、副支配人の線が細い男が立っていた。
「ごめん。先に聞いちゃった」
「世界樹の声、聞きたかったんですけど……」
「申し訳ない」
「あ・それ、寄生植物ですね? 処理してきます」
「ありがとう」
支配人と副支配人は、共に地の大精霊なので、世界樹の世話を任されている。なのでどちらかが、手が空いた時にお世話をしているのだ。最も、支配人が圧倒的にその数が多い。
すると支配人は、世界樹を見上げて叫んだ。
「精霊王はいらっしゃいますか?」
「居ますよ……ふああああぁぁ……」
「あ・寝て居ましたか」
「大丈夫。二度寝しかけただけだから」
見た目三十代くらいの大柄の女性が、ふよふよと浮かびながら降りて来た。
彼女は地の精霊王で、この宿屋の実質的な経営者であった。世界樹はこの地の精霊王の寝床でもあり、世界樹の良き隣人でもある。
「何か相談?」
「はい。先程、また天使が騒ぎまして……」
「またか。も~、天界王と魔界王の定例会議があるって言うのに……」
実は来週この宿屋で、天界王と魔界王の定例会議が行われる。会議の場所は持ち回りなのだが、今回は『世界樹の木陰』でやる事になっていたのだ。
「天界に報告を上げたのですが……」
「あっちでも調べているんだけど、どうして傲慢な性格になっちゃう理由が分からないらしいのよ」
本来天使は慎ましい人が多い。なのに傲慢になってしまうのはおかしい。狡猾な天使もいるのだが、大体皆慎ましくしているのが普通だ。
「こちらでも、対策を練らなきゃですね」
「うん。毎年の事だけど、今回の会議って、やって欲しくない天使が多いだろうからね~。嫌がらせとか、注意しとかないと」
今回の定例会議の内容は、魔界落ちする天使と天界上がりをする堕天使を決める人事会議なのだ。
特に天使は魔に染まりやすい。なので、しょっちゅう魔界落ちして堕天使になっている。その堕天使がやるべき罪を完済したら、天界に戻すのだ。
魔界落ちは不名誉な事なので、天使は何が何でもそれを阻止したい。なので、この会議前後は天使が荒れる事が多いのだ。ただし、いつもなら二、三人程度。複数の宿で問題になる程ではなかった。
「お客様全てに注意しなきゃいけないわね~。不審な行動をしているお客様がいたら、すぐに対処と報告を」
「かしこまりました」
「さて、私も仕事してこようかな~」
地の精霊王は寝間着姿から、経営責任者らしいきっちりしたスーツ姿に身を包んだ。
「セレストはゆっくり休んでね」
「お言葉に甘えます」
支配人は自室に戻り、木葉で出来たベッドに横になり、眠りについた。
次の日。今日も新人につき、支配人は受付に立っていた。
「いらっしゃいませ」
「支配人、お久しぶりー!!」
「あ・クリスタル様! しばらくぶりでございますね」
支配人の目の前にいたのは、聖属性の大精霊の女だ。以前は常連だったが、部署移動だとかで、足が遠のいていた。
「定例会議があるでしょう? 私は先行組なのよー。様子を見て来なさいって」
「それはお疲れ様です」
「でも良い出張よね! いつもは別のところに回されちゃって『世界樹の木陰』に泊まれない時が多くってさー」
「気に入って頂けて光栄です」
「十日間、お世話になります」
新人に手続きを任せ、済ませると、クリスタルは部屋へ向かおうとしたが、振り返って口を開いた。
「そういえば、傲慢天使の件、聞いてる?」
「はい。昨日もいらっしゃいました」
「……それがね、どうも傲慢天使達はある薬を飲んでいたみたいなの」
「薬ですか?」
姿なきものの世界にも薬が存在する。天界にも魔界にも、植物が生息しており、その植物から薬を作ることができるのだ。姿なきものに病気は存在しないのだが、それでも疲れは感じてしまう。薬は彼らにとっては栄養剤みたいなものなのだ。
「それを頻繁に飲んでいた事がわかったのよ。どんなものかまでは分からないけど、その後、傲慢になっている事までは突き止めたの。犯人はわかってないけどね」
「有力な情報、ありがとうございます」
「今回の出張はその調査も兼ねているの。支配人も気づいたら教えてね」
クリスタルはそう言い残し、颯爽と歩いて行った。
すると、遠慮しがちな態度で新人が尋ねる。
「傲慢天使の件。まだ解決に至らないのですか?」
「うん。ユーニスも何かあったらすぐ報告して」
「かしこまりました」
支配人は途中で受付を別の従業員と交代し、食堂へ向かった。
食堂では、常に誰かしらが料理を作っていて慌ただしい。そんな中、支配人は料理長を呼び出した。
「なんだ? 珍しいな。だが、用があるなら早くしてくれよ」
彼は炎の大精霊。四十代くらいの外見の男は、燃えるようなオレンジの瞳を、支配人に突き刺さる様に見ていた。
「はい。実は……」
傲慢天使の件について、薬の存在を伝えると、案の定顔をしかめた。
「ってことはだ。もし、その薬がうちの料理に混ざっていたら……」
「はい。大変な失態になります」
「だがなぁ、ここは関係者以外は入って来られない。魔力が登録されてないからな」
決してお客様に立ち入って欲しくない所には結界が張ってある。実は世界樹の周りにも張ってあって、お客様は鑑賞する事しか出来ない。ここの食堂裏には、お客様が入って来れないよう結界が張ってあり、魔力を登録しなければ入る事や探る事さえ出来ないのだ。
「給仕の時はどうでしょう? 運んでいる最中とか」
「それは……なくもない。被せはするけど、料理一つ一つに結界張る訳にゃいけないからな」
「従業員に紛れる可能性もあるという事ですね」
「あぁ、それはこっちでも対処出来ん。ただ、外から持ち込むとなると話は別だ。ここの奴らは面白いスパイスなんかに目がないからな。それに紛れていたら……」
「確かめて貰えませんか? ここ最近……傲慢天使が増え出したのが一ヶ月前ですから、二ヶ月……三ヶ月前から新しく使ったスパイスや食材などを」
「わかった。調べる」
料理長と別れた後に精霊王や給仕担当にも連絡を入れ、支配人は受付に戻った。
「あ・今日は支配人が受付なの?」
「はい、アリスター様」
「よく知ってるね。初めて話すのに」
「従業員から聞いておりますから」
対応した事のないお客様でもスムーズに手続き出来るよう、情報が共有されているのだ。隣では新人が別のお客様の手続きをしていたので、手が空いている支配人自ら受付をしていた。目の前にいるのは中天使のアリスター様。ここ最近、常連になりつつあるお客様だった。
「五日間でございますね。兼用部屋になってしまいますが、それでもよろしいですか?」
「良いよ。会議前だし」
兼用部屋とは、どの姿なきものでも泊まる事が出来る部屋だ。基本はそれぞれの種族にあった部屋が用意されるのだが、満室になった場合に誰でも泊まれるよう作られた部屋だった。数もあるので、こちらを選択するお客様も多い。
「ごゆっくりをお過ごしくださいませ」
中天使の男はにこやかな笑顔を向けてから、部屋へ向かった。
すると、隣から声が聞こえた。
「多くなって来ましたね」
「うん。この時期はね。もう定例会議も明後日だし」
「当日は支配人も受付……ですよね?」
「私は本来の支配人業務に戻るから、当日はベテラン受付の方にお任せしてます」
「……そうですか」
「当日の受付の出来次第で、もう私は離れるかもしれないから、頑張ってね。目指せ! 一人前!!」
「う~……寂しいです~~」
「それが成長って奴です」
新人の成長にしみじみしつつ、気を引き締める。定例会議に泥を塗る訳には行かないのだ。
定例会議当日。
天界と魔界から、天界王と魔界王が到着した。
ほぼ同時に到着し、中に入って来た。
天界王と魔界王は髪と瞳の色が違うだけの、瓜二つの御仁だった。ややつり目の美形で、天界王は淡い金髪に碧眼、魔界王は黒髪に赤眼持っている。
そう、二人は創造主によって創られた、双子の兄弟なのだ。
「久々に来たな」
キリッとした声で天界王が言うと、魔界王はニヤリとしながら同意した。
「だな。世界樹酒が飲めると思うと、ヨダレが……」
「だらしないぞ。だか、気持ちはわかる」
「いらっしゃいませ。本日より担当致します、副支配人のブレントと申します」
「あぁ。よろしく」
「世話になる」
「では、こちらへ」
副支配人が二人をどこかへ案内して行くところを見ていた新人は、目をずっと丸くしていた。
「……天界王と魔界王って、双子だったんだ」
それは意外にも、一部の者しか知らない事実であった。
副支配人が案内したのは、客室がある棟とは別の棟だった。そこはパーティーを開いたり、会議を行う時に使用する所だ。
なぜ客室でないのかというと、それは二人の希望だったからだ。
「さっさと会議を終わらして、のんびり飲み明かそうではないか」と兄弟水入らずで楽しみたいらしい。
天界側と魔界側が対面になるように着席し、着いて早々、定例会議が行われた。
「まず、言っておかなければならない事がある。ここ最近、傲慢な天使が増え、方々に迷惑かけている事を謝りたい。済まなかった」
「良い。それは薬のせいではないかと、話に上がっている。その疑いがある者は、今回の会議では保留とする事を魔界側から提案する」
「ありがたい申し出、感謝する」
「では、早速。天使・堕天使の人事会議を始める」
魔界王の号令で、本題に入った。
「……では天使五名を魔界落ちに、堕天使三名を天界上がりにという事で」
「異論はない」
会議は何事もなく、わずか一時間ほどで終了した。
終わった途端、魔界王が無邪気そうに天界王に笑顔を向ける。
「じゃあ兄上。部屋で飲み明かそうではないか!」
「落ち着け。酒は逃げん」
「では、こちらへ。離れにご案内致します」
副支配人に案内された先に向かうと、先程いた会議室がある棟と繋がる、兼用のスイートルームがあった。
「相変わらず良い場所だなぁ」
「あぁ。世界樹がよく見える」
この部屋は、どの種族の高貴な方が来ても大丈夫なように、兼用仕様になっている。この部屋が一番贅沢な場所と言っても過言ではないのだ。
「世界樹酒は、一番出来が良い年のものを用意致しました」
「うん。楽しみだ」
「こう良い気分で居られるなら、毎月会議があっても良いな」
「あぁ。それを口実に会えるしな」
「おっと、部下達には聞かせないでおくれよ」
「そうだな。仕事を増やされてしまうからな」
副支配人は苦笑しながら「もちろんでございます」と返した。
給仕をしている女性従業員が、天界王と魔界王の目の前にグラスを置き、その中に大きめの丸い氷を作り、黄金色の世界樹酒をトクトクと注いだ。その給仕が退いた後、別の給仕が二人やって来て、おつまみをそれぞれの前に置き、そのおつまみに向かって手をかざした。これは、毒が入っていないかの確認である。
天界の者は魔の世界にあるものが毒であり、魔界の者は天界のものが毒なのだ。なので、聖の大精霊の給仕と闇の大精霊の給仕が確認をしたのである。出てくる食事は人間界で出るものとあまり変わりはないので、毒の心配はない。
「毒がない事が確認出来ました。これから食事を順々にお持ちしますので、私達は一先ず失礼致します」
三人の精霊が出て行き、副支配人がドアの側に立つと、二人はグラスを持って互いに微笑み合い、口から黄金色の液体を流し込んだ。
天界王と魔界王の到着を知り、影から見守るつもりだった支配人だったが、料理長に呼ばれてしまった。
「悪りぃな。急用でよ」
「何があったのです?」
外から持ち込んだスパイスには、怪しい所は見当たらなかった。なので安心して料理してくださいと言ってあったのだ。それなのになぜと支配人が思っていると、バツが悪そうな顔で口を開いた。
「実は、届くはずのものがまだ届いていないんだ。部下に見に行かせたんだけどよ。……まだ帰ってこねぇ」
「何分前ですか?」
「もう三十分だ。メインディッシュのものだから、まだ調理はしないで良いんだが……さすがにな」
どうしようと支配人が思った時に、白髪のドアマンが急ぎ足でやって来た。
「……支配人! ……怪しい……堕天使の男を……目撃しました」
「えぇ!?」
「そいつ上客……天界王と……魔界王達の……後ろからこっそり付いて行ったんです。それを追っかけたのですが、見失いました」
「風のお前が!?」
料理長は目を見開いた。なぜならその白髪の男、ジェイクは風の大精霊。本来風で探索する事が得意な精霊なのだ。
「……ジェイク、お願い。今、料理人が食材を取りに行っているの。けれど帰ってこない。だから、料理人の行方を風で探して」
「かしこまりました!」
白髪の男が風で探査をかけると、すぐに見つかった。
「天使に絡まれているみたいです。しかも二人。料理人は食材が入った箱を持ったまま、動けなくなっているようです」
「その場所が分かるのはジェイクだけだから、その天使を捕縛に向かって! 私は堕天使を探します」
「俺も行けるぞ! 料理すんのはメインディッシュだけだからな」
「では、各自お願いします!」
「「かしこまり!」」
下っ端料理人はジェイクに任せ、支配人と料理長は、二手に分かれて堕天使を追った。
まず、ロビーに向かった支配人は、常連の中死神の男トミーと、先日傲慢天使に絡まれた、悪魔の男モーリスが、歓談している所に遭遇した。
「失礼します、お客様方!!怪しい堕天使を見掛けませんでしたか?」
「え? 堕天使?」
「支配人、堕天使じゃなくて、怪しい天使ならいたよ」
「……どこへ行きました?」
「向こう。天使の棟に向かってたんだと思う」
「ありがとうございます」
お礼を言ってすぐに支配人は走り出した。
「あれって、例の傲慢天使の件?」
「でも、堕天使って言ってなかった?」
「あ・今日って定例会議か!?」
「だから……」
支配人が走って行った方角へ、二人で顔を向けた。
次に会ったのは、出張で来ている聖の大精霊の女だった。
「クリスタル様!!」
「支配人!?」
「怪しい堕天使を見ませんでしたか?」
「堕天使は見なかったけど、天使は見た。……実は今、勤務中なの」
よく見ると、ビシッとしたスーツに身を包んでいた。……スカート丈が際どいのは無視する。
「報告はしたのだけど、会議の場とは正反対だったから、その場で待機って言われちゃって……あっちの水の棟に向かってた」
「ありがとうございます!!」
走り去った支配人を見て、呟いた。
「支配人て……足早いのね」
もう見えなくなってしまった。
水の棟にもうすぐ着くという時、怪しい天使と追いかける料理人が支配人の目の前を横切った。
すぐさま方向を変えて、料理長の後に続く。そして料理長は、天使に向かってタックルした。
「どりゃー!!」
「ぐっ!」
天使の男の腰を料理長ががっちり抱き、バタッと二人で倒れるものの、天使は羽と手足をバタつかせ、逃げようとする。
「料理長! もう少し押さえつけてください!!」
支配人がそういうと、支配人は両手の掌をこちらに向けて、ツルを出し、天使の身体と羽を縛りあげた。
「やっと捕まえましたねぇ」
「でも、堕天使じゃねぇぞ?」
「そうでした!! ……あれ?」
捕まえた天使の羽が、みるみるうちに黒に変わった。よく見ると、髪も黒に、瞳も赤に変わっていく。
「こいつ……擬態能力があったのか!?」
「じゃあ堕天使というのは……」
「お前だな?」
料理長に睨まれたが、堕天使の男は不貞腐れた顔で無視した。
「あなたは……アリスター様ですね」
最近常連になりつつあった中天使の彼だ。
支配人が指摘しても、堕天使はだんまりを続けた。すると、支配人がため息をつき、「とりあえず、連行しましょうか」と言って、堕天使を立ち上がらせると、カランカランと何かが落ちた。
下を見ると、そこには黒い粒が入った瓶と黒い粉が入った瓶が落ちていた。堕天使を料理長に任せて、支配人が拾う。
「……これが元凶のようです」
支配人は地の大精霊。あらゆる植物に精通している。これは、魔界でしか咲かない植物を粉末にして粒にしたもの。それを天使が口にすると、性格が真逆に変わるのだ。
この堕天使が傲慢天使騒動の発端だった事が発覚した。
戻ると料理人は無事、ジェイクに助け出され、食材も届いていた。傲慢天使はひとまず、問題を起こしたお客様用の部屋、通称:問題部屋に入ってもらっているという。料理長は戻って料理に取り掛かってもらった。
堕天使をジェイクに渡して、別の問題部屋へ連れて行くようお願いした後、支配人の肩に小さい百合の花が咲いた。その花から男の声が聞こえてくる。
「会議が終わりました。離れに向かいます」
それは副支配人の声だった。
「わかりました。……密かに、天界と魔界の方を一名ずつ、こちらに寄越してください」
「かしこまりました」
大天使と大悪魔の女性二人がこちらに到着すると、その問題部屋へと通し、傲慢天使量産の犯人の可能性が高い事を伝え、二人に取り調べをお願いした。……しかし、堕天使は黙秘を続け、頑なに話そうとしない。
支配人は副支配人に連絡し、天界王と魔界王の許可を貰い、二人の元へ堕天使を連行した。
離れへ着くと、すでに二人は出来上がっていたが、理性は失っていなかった。
「連絡が遅れて申し訳ございません。まだ確定ではありませんでしたので、こちらで取り調べをしていたのですが、口を割らないためこちらへ連行しました」
「良い良い! 犯人が捕まるのはめでたい事だ」
「あ? お前、牢に入っていなかったっけか?」
魔界王が言うと、天界王は目を見開く。
「知っているのか?」
「あれだよ。こいつの魔界落ちが決まった時に、お前に唾吐いた奴だよ」
「あぁ……思い出した。お前か」
「はぁ……俺の失態だな」
「元はと言えばこちらが悪い」
どうやら元々問題児だったらしい。
「ん? 何やら楽しそうねぇ~」
やって来たのは我が宿屋の経営者、地の精霊王だった。
「私も怒ってるのよね~。混ぜてくれません?」
「良いぞ」
「こっちに来い!! 世界樹酒を飲みながら、こいつの取り調べをしよう」
犯人容疑の堕天使を三人に任せ、副支配人を残してその場を後にした。
支配人は後で副支配人に報告させたところ、堕天使は「いやだーー!! やめろーー!! 離せ……離せよ!! ああーーーー………」と、世にも恐ろしいお仕置きを受けたというが、詳細は教えてくれなかった。
「知らない方がいい事もありますよね?」と副支配人は口を割らない。支配人はこの事について、突っ込まない事に決めた。
事件から二日後。
今回の件は、天界・魔界共に失態があったとして、迷惑をかけた者や全宿屋に謝罪をするという。
「あの堕天使は看守を籠絡していた事が判明した。うちの管理不行き届きだな」
「それを言ったら、私が最も悪い。あのような者に碌な指導をさせられなかったからな」
本来天使は人々が良い方向に導くために、動いている。
例えば、ある人が「今日はいつもと違う道を進んでみよう」と思い、それを実行したところ、良い出会いがあったとする。それは天使が「今日はいつもと違う道に行って見ない?」と囁いたからなのだ。
しかし、この堕天使が天使の時から問題児だったらしい。
自分こそ正義だとばかりに「気に入らない奴だな。殴って従わせよう」と囁き、人々に暴力行為を起こさせた。その暴力を働いた人々は反省の色が見えず、皆、天からの声に従ったと言っていた。
その行為が悪魔の行いだと、堕天使に落とされてしまったのだ。
報復として看守を篭絡させ、魔界の植物を手に入れ、地上に来て仕事がうまくいかないと悩んでる天使に、薬を勧めたらしい。
堕天使は、魔界にある最も刑が重い者が入る監獄への送還が決定した。
「色々騒がせて済まなかった」
「本当に申し訳ない」
天界王と魔界王は同じタイミングで頭を下げた。……やはり双子だとその周りにいた皆が誰もが思う。
「無事、解決に至って何よりです」
「これを機に教育改革をせねばな」
「うちも監獄の人事とか洗い直さないと」
「今回の支払いは色をつけておくよ」
「俺もだ」
「ありがとうございます。では、この水晶玉にお触れください」
天界王と魔界王がそれぞれ、支配人が持っている水晶玉に手を置くと、天界王は淡く黄色い光が輝き、魔界王は漆黒のもやが水晶玉を纏った。
姿なき者の支払いはお金ではなく神力や魔力なのだ。本来は最初受付に来た時に貰うのだが、会議などはこう言ったトラブルが起きやすいため、今回はお帰りの際に頂く。
「確かに頂戴致しました」
「迷惑かけたのに、土産まで……良いのか?」
「はい。世界樹様が是非にと」
世界樹様が世界樹酒と、世界樹の葉を十枚ずつ二人に渡すよう、支配人に託したのだ。二人は土産をチラチラ見ながらホクホク顔だ。
「これから大変でしょうから、皆に役立つようお使い下さいとの事です」
その言葉に二人は硬直する。
世界樹の葉は珍味としても有名だが、薬として使うのが一般的だ。世界樹酒には、ただ飲むだけでなく、調味料としても使える。ただ、世界樹酒入りのそれを食べられるのは、病人だけだ。
今回、特に天使達は堕天使の薬によって、身体を汚染されてしまい、一時魔界に預けられた後に天界に復帰する予定だ。軽度の者は天界で治療するらしい。そのお土産は王二人ではなく、病人へのお見舞いだったのだ。
それを聞いてちょっと肩を落とした二人は、恥ずかしそうに取り繕う。
「びょ……病人に使うのは当然だ!」
「せ……世界樹によろしく伝えてくれ!」
二人は互いに微笑みあってから、それぞれの家へ帰って行った。
数日後。
新人はもう手慣れたように受付業をこなしていた。
「いらっしゃいませ。ようこそ、世界樹の木陰へ」
「一日だけなのですが、とまってもよいですか?」
「はい。でしたら、こちらの部屋がオススメでございます」
「じゃあ、それにします!」
「今日はお仕事ですか?」
「はい! はじめてのしゅっちょーのおしごとなのです」
「そうだったのですね。ごゆっくりお過ごしくださいませ」
にぱっと笑う幼女の神様に、周りにいた者達は皆、微笑んでいる。しっかりとした足取りで自室に向かう幼女の神様の後ろ姿を、周りの皆が見えなくなるまで見ていた。
それを見ていた常連の死神トミーと常連の悪魔モーリスは、ほのぼのした顔で話している。
「高貴な方とはいえ、微笑ましいね」
「何回見ても癒される……」
「ですねぇ」
「支配人!?」
「ここを一番最初に選んで頂いて光栄です。もし……不埒な方が居たら、私が撃退致します」
「……うん。そうだろうね」
「皆様も、暖かく見守って頂けると嬉しいです」
「もちろんだよ!」
支配人は満足したのか、その場を後にした。
「……あれ、絶対牽制だよな」
「あぁ……俺、絶対そんな事しない。ゴリラにやられたくない」
「ゴリラ?」
「支配人だよ!! 俺もう怖い!! あの人見かけによらず細マッチョだよ、多分。……はぁ。『ゴリ細マッチョの支配人』には逆らいたくない……」
「え!? 支配人が!? それ詳しく!!」
……後に、『世界樹の木陰』には『ゴリ細マッチョの支配人』が居る事で話題になった。
「もうー!! 誰がそんな事言ったんですかーーーー!!!!」
支配人の怒りに、従業員達は苦笑いを浮かべたという。
本日も、宿屋『世界樹の木陰』は、いつもと変わらず営業中。どうぞ、いつか足をお運び頂けるよう、従業員一丸となって、快適な場所を提供致します。
ここまで読んで頂きありがとうございました。