まずは声をかけよう①
武司と鏡花が登校するとグラウンドから運動部の掛声が響いてくる。陸上部が走り、サッカー部はパスの練習だろうか? 野球部は回数を数えながらバットの素振りをしている。部活に青春をかける高校生の爽やかな朝。その爽やかな朝を汚すかのような雰囲気が下駄箱の前から漂ってる。
どこかのホラー映画のように長い髪を垂らし、ズンと重い空気を漂わせている豊城月乃がそこにいた。
何かを期待した男子がソワソワと通り過ぎていくなかで武司たちの存在に気がついた月乃が顔をあげる。
「鏡ちゃーん! 待ってたーー!」
玄関を様々な空気が渦巻く。月乃が待っていたのが自分じゃないという落胆、待っていたのが女性だという安堵、美少女が抱き合うシーンに対する歓喜。混沌と化した玄関で鏡花にすがり付く月乃が耳打ちする。
「私もうダメかもしれない……」
「はぁ? ダメって何が?」
「天野くんに変な目で見られた……」
「ここじゃ何だし場所変えよっか?」
靴を履き替え教室に鞄を置くと屋上に上がった。いくら早朝とは言え夏を控えた六月。太陽から照りつける日差しは強い。チリチリと肌を焼く日差しから逃れるように貯水槽の影に入ると泣きそうな声でファミレスであったことを伝えた。
「やけ酒ならぬやけウーロン茶をしているとこを見られた――と。そんでもって惚れたときのエピソードまで言ってしまった――と。…………詰んだね」
「詰んだとか言わないでぇーーー ! 何とかしてください、鏡ちゃーん!」
「ツーちゃんは天野くんのことになると、ホント人変わるよねぇ」
抱えた膝に頭をうずめていた月乃が隙間から顔を覗かせた。
「だって人を好きになったのなんて始めてだもん。どうすればいいか分からないもん」
「その行動とセリフを壮太の前でやってきなさい! イチコロだから」
「そんな恥ずかしいこと言えません!」
ピシャリと断言する月乃。だが、鏡花と武司はその恥ずかしいことを言ったから今、こうして集まっているのでは……という言葉を飲み込んだ。
「ま、まぁ壮太も気にしてる様子じゃなかったし月乃さんも気にしなくていいんじゃないかな?」
武司が月乃のフォローを入れるべく壮太と話したが気にしている様子はなかった……少しは気にしてくれれば良かったのだが。
「ほ、ホント……ですか?」
壮太の友人である武司の言葉は月乃にとっては僧侶を説法。聞くだけで安心を得られる魔法の言葉。
「ち、因みに私の気持ちに、は?」
「幸いというか残念というか気がついてないな」
壮太は身の丈にあった恋と言っていたが、つまるとこ親近感のある女性や身近な女性ということだ。顔の好み、性格や趣味、価値観は置いて隣に並んで歩ける人。誰もが見惚れるような容姿じゃなくてもいい、誰もが羨む才覚なんてなくていい。だからこそ、月乃は壮太の好みにマッチしていない。今の壮太にとって¨豊城月乃¨はテレビ画面のなかのアイドルとなんら変わらないのだ。
「私的にはセーフだと思うけどなぁ。振られた訳じゃないし、チャンスも繋がったんだから」
ホームルームの時間が迫っているということもあり、鏡花が立ち上がると月乃と武司も立ち上がる。
「とにかく先ずは壮太と友達になること。そのためにも最低一回、今日中にツーちゃんから話しかけなさい!」
鏡花からの課題に困惑する月乃だったが、すぐに顔を引き締めた。話しかけるだけなら「おはよう」や「さようなら」でもいいのだ。これ以上下はない一番低いハードル。
「挨拶でいいんですよね?」
「出来れば会話もして欲しいとこだけど、挨拶だけでも合格にしてあげる」
「なら私でも出来そうな気がします」
胸の前で作った二つの拳にはやる気と意気込みに満ちていた。一番簡単なハードルなのだ。こんなところで躓いていられない。ましてや超えられないようでは次に進むことも出来ない。月乃のやる気も自然と満ちてくるというものだ。