第9章 あっと言う間のバケーション(その117)
「で、でも・・・、昨日までは・・・。」
哲司は、この祖父の家に来てから、祖父がタバコを吸っているのを見てはいない。
昨夜も、こうしてここに座っていたのにだ。
だから、そう訊く。
「ん? じっと我慢してたんだ。」
祖父はそう言って苦笑いをする。その顔は可愛かった。
「でもな、今から、哲司に道具の使い方、つまりは刃物の使い方を教えると思うとな、もうどうにも我慢ができなくなったんだ。
それこそ、神経を集中しないと、哲司に怪我をさせることになるからな。」
祖父は、まるで言い訳をするかのように補足してくる。
「・・・・・・。」
哲司は、何かを言うべきかと思ったものの、結局は黙って祖父の話を聞くだけにする。
その方が良いように思えたからだ。
「・・・・・・。」
祖父は、煙管に葉煙草を詰めて、それにマッチで火をつける。
そして、ゆっくりとそれを吸う。
「お、美味しい?」
哲司が訊く。いや、別にその味が知りたかったからではない。
ただ、祖父があまりにも幸せそうな顔をしているから、ふと声を掛けてみたくなっただけである。
「ああ・・・、美味い。もう5日振りぐらいだし・・・。」
祖父は、目を細めてそれだけを答えて来る。
「でも、1日にこれ1服って決めてるんだ。それを増やせば、また元のヘビースモーカーに戻ってしまうからな。
折角、爺ちゃんのためを思ってお医者さんが言ってくれてるんだ。
それを無視するわけには行かんだろ?」
「・・・・・・。」
「ま、それでも、医者は感づいているんだろうけれど・・・。」
「ん? 嘘がばれてるってこと?」
哲司は、そういうことを言っているのだろうと思った。
「い、いや、嘘は言ってないつもりだ。煙草を止めろとはとは言われているが、爺ちゃんは止めるとは言ってないからな。
ただ、爺ちゃんのことを思って言ってくれてるんだから、完全に無視はできんだろ?
だから、爺ちゃん、自分で自分と約束をしたんだ。」
「自分と約束って?」
哲司は、その意味がもうひとつ分からなかった。
「だからな、1日を終えて、風呂に入った後、寝るまでのこのひと時にしか煙草は吸わないぞって、自分自身と約束をしたんだ。つまりは、そう決心したってことだ。」
「あああ・・・、そ、そういうこと?」
「でも、この煙草の匂いってのは、吸わない人にはすぐに分かるらしい。
だから、お医者さんは、きっとまだ吸っていることが分っているだろうってことだ・・・。」
「そ、そうなんだ・・・。」
哲司は、その煙草の匂いが嫌いではなかった。
祖父の匂いそのもののように思えるからだ。
(つづく)