第9章 あっと言う間のバケーション(その106)
「冷蔵庫に入れとくと、酸っぱくなるの?」
哲司には、それが酸っぱくなった唯一の理由だと思える。
「う、う~ん・・・、どうなんだろうなぁ~。」
珍しく、祖父は答えを明言しなかった。
「じゃ、じゃあ・・・。」
哲司は納得できない。
昼に食べたときは、「何と甘いんだろう」と思ったプチトマトである。
トマトがこんなに甘いものだとは思っていなかったほどにだ。
それなのに、今食べたプチトマトは、言わば、哲司がもともとイメージしていたトマトの味に近いのだ。
同じプチトマトなのにだ。
であれば、その違いは、冷蔵庫に入れて冷やしたかどうかしかない。
「本当に酸っぱくなっているのかは、爺ちゃんにも分からん。これだけは計りで計れんからな。」
「で、でも、冷蔵庫に入れたから・・・。」
「うん、確かにそうしただけだな。でもな、そのトマトをまた例の井戸水に浸して食べれば、あの甘さに戻るんだ。」
「う、うっそう~!」
哲司は信じられない。
「いや、それは本当の話だ。だから、爺ちゃんは、トマトの味が変わるんじゃあなくって、それを食べる人間の口の感じ方が変わるんじゃあないのかって思う。」
「ん? それって、ど、どういうこと?」
「つまりはだ。それだけ、人間の味覚ってのは一定じゃあないってことだ。味を感じる前に、その温度を感じるんだな。」
「冷えてるとか冷えてないってこと?」
「ああ・・・、今、哲司も、酸っぱいと感じる前に、冷たいって感じたろ?」
「う、うん・・・。」
「それで、哲司の味覚が変わったんだろう。つまりは、味の感じ方が変化したんだな。」
「そ、そんなことで・・・、変わったりするの?」
哲司は、そう言う自覚はなかった。
「ああ、そうなるようだ。哲司の好きなアイスクリームだってそうだ。」
「ん? アイスクリーム?」
「アイスクリームは、言うなれば牛乳に甘味を付けて、それを冷やして固めたものだ。」
「へ、へぇ~、そ、そうなんだ・・・。」
哲司はそのことも知らなかった。
「あれを溶かして、常温、つまりは固める前の甘い牛乳に戻したら、きっと哲司も食べたくなくなるだろう。」
「う、う~ん・・・。」
哲司は、溶けたアイスクリームを食べた記憶はない。
「アイスクリームは、その名のとおり、冷たいから美味いんだ。」
「う、うん。」
哲司もその言葉には異論は無い。そのとおりだと思う。
「でも、それを溶かして元の甘い牛乳にしたら、同じように美味いとは思えない筈なんだ。
それだけ、人間の口ってのはいい加減なものだってことだ。」
ようやくトマトの酸っぱさを忘れかけられた哲司を見て、祖父は笑いながらそう言ってくる。
(つづく)