第9章 あっと言う間のバケーション(その92)
「それから10年以上も経ってからだったかなぁ~・・・。」
祖父は、遠くを見るような目で言ってくる。
「ん?」
「それまでは、そのお兄ちゃんが持って帰ってくれた岩塩を一切使わないでいたんだが、デパート地下の食料品売り場に行ったとき、それと同じものが売られていたんだ。
それで、爺ちゃん、思わずそれを買ってきたんだ。何か、お兄ちゃんと出会えたような気がしてな・・・。」
「・・・・・・。」
哲司は何も言えなかった。
「で、それからなんだ。家で肉料理をしたとき、また、こうして揚げ物をしたとき、この塩を使うようになったんだ。食べるたびにお兄ちゃんを思い出せてな・・・。」
「ふ~ん・・・、そ、そうだったんだ・・・。」
「おっ! もう食べないと、冷めてしまうぞ。」
「う、うん・・・。」
哲司は、皿に取っていたタマネギに箸を伸ばした。
「それは、爪楊枝を刺してあるから、それを持てば良いんだ。」
「ああ・・・、そ、そうか・・・。」
哲司は、箸を置いてタマネギに刺さった爪楊枝を摘まむ。
そして、それを小皿の岩塩にちょこっと付ける。
「う、う~ん・・・、とっても甘い!」
「だろ?」
「ど、どうして?」
「う~ん・・・、どうしてなんだろうな。」
祖父はにっこりと笑いながらそう言ってくる。
答えを知っているのに、敢えてすぐには言いたくないって顔だと哲司は思った。
「強いて言えば、それが本来のタマネギの味ってことなんだろう。」
「で、でも、いつも食べてるタマネギって、こんなに甘くはないよ。」
「あははは・・・、そ、そうか、そんなに甘くは無いってか・・・。
そのタマネギは、爺ちゃんの愛情がしっかりと注がれてるらかな?
何しろ、タマネギってのは、育てるのに10ヶ月掛かるんだ。」
「えっ! そ、そんなに?」
「ああ、だから、今哲司が食べてるタマネギは、去年の9月に植えたものなんだ。
それから、紅葉の季節があって、雪の季節があって、桜の季節があって、青葉の季節を経て、この7月の初め頃に収穫したんだ。
だから、人間の赤ちゃんと同じなんだ。」
「ええっ! 赤ちゃん?」
「ああ・・・、人間の赤ちゃんてのは、お母さんのお腹の中で10ヶ月育ってから出て来るんだ。」
「ああ・・・、そ、それは聞いたことがあるよ。」
「だろ? このタマネギも、その人間の赤ちゃんとほぼ同じ時間、土というお母さんのお腹の中でその栄養という愛情をたっぷりと受けて大きくなってきたんだ。
だから、そうして甘くって美味しくなってるんだ。」
「へぇ~・・・。」
「タマネギも人間も、それを育てようとする愛情があってこそちゃんと育ってくるんだ。
哲司もそうなんだぞ。
お父さんとお母さんの愛情を一杯に注いでもらっているからこそ、ここまで大きくなってきたんだ。
そのことを忘れちゃあいけないんだ。」
祖父は、自分もそのタマネギを鍋の中に入れながら言ってくる。
(つづく)