第9章 あっと言う間のバケーション(その76)
哲司が手を洗っている間に、祖父がどこからか大きくて平たい鍋を取り出してくる。
「そ、それを使うの?」
哲司にも見覚えのある鍋だった。
そう、天麩羅を揚げるときに使う鍋だ。
家にあるものと多少は大きさが違っているが、その形から同じようなものだろうと思う。
「ああ・・・、そうだ。これも、爺ちゃんと同じで、年季が入ってる。」
「ネンキって?」
哲司はその言葉を知らなかった。
「長い間使ってるってことだ。」
「そ、そうなんだ・・・。」
「確か、哲司のお母さんが結婚する直前に買ったものだから、もう何年になるのかな?」
「へ、へぇ~・・・。」
哲司は、両親が結婚したのがいつなのか知らなかった。
「で、でも、それって、うちにあるのより大きいよね。」
「おう、そうなのか? ああ・・・、それはそうだろうな。」
「ん?」
哲司は、祖父がそれを不思議に思わないことが不思議だった。
哲司の家は両親と哲司で3人だ。そして、祖父のところは、祖父ひとりだ。
哲司の家にある方が大きくて当たり前ではないかと考えたのだ。
「哲司の家は3人だろ?」
「う、うん。」
「この鍋を買ったとき、爺ちゃんの家は大人が4人いたからな。」
「ん? 4人?」
「ああ・・・、爺ちゃんに、婆ちゃん、そして哲司のお母さんにその妹、つまりは昨日来てた春子おばちゃんだ。」
「あああ・・・、そ、そっか、そうだったんだね・・・。」
哲司もそれで納得が行く。
そうした時期が昔にあったという感覚でだ。
「だからな、この鍋、最近ではあまり使わんようになった。
いくらなんでも、爺ちゃんひとりじゃあ、この鍋は大きすぎるからなぁ~・・・。」
「・・・・・・。」
「でも、こうして哲司が泊まってくれるから、この鍋にも久しぶりに登場してもらうことにした。鍋も喜んでるだろう。役に立って・・・。」
「そ、そうだね・・・。」
哲司は、どうしてか、何か良いことをしたような気持になった。
祖父がその鍋をテーブルのガスコンロの上に運んでいく。
「手、ちゃんと洗ったのか?」
「う、うん、ちゃんと石鹸使って洗ったよ。」
「じゃあ、見せてみな。」
「う、うん・・・。」
哲司は踏み台から降りて、祖父の元へと急ぎ足で行く。
いよいよ自分で天麩羅、いや、素揚げが出来ると思うからだ。
(つづく)