第9章 あっと言う間のバケーション(その74)
「う、う~ん・・・。」
哲司は言葉が続かない。
確かに、両親がいるから自分もこうして学校に通っているんだという意識はあった。
給食費や修学旅行積立金などのお金も出してもらっている。
そして、学校で使うんだと言えば、結構高い物でも買ってもらえていた。
それでもだ。その両親から「ものを教えてもらっている」という意識はまったくなかった。
それどころか、「叱られてばかりいる」という思いが強くなっていた。
「哲司は、ちゃんと箸を使ってご飯を食べてるだろ?
そして、こうして言葉を使って爺ちゃんとも話せているだろ?」
「う、うん、それはそうだけど・・・。」
「それは、どうして覚えたんだ?」
「ど、どうして?」
「ああ、どういう風にして覚えたんだ?」
「う、う~ん・・・。」
哲司は答えられない。こうして覚えたという確かな記憶がなかったからだ。
「それを哲司に教えたのが、お父さんでありお母さんなんだぞ。」
「ええっっ! そ、そうなの?」
「そりゃあ、そうだろ。他に教えてくれる人間はいなかった筈だ。哲司にしてみたら、いつの間にか覚えていたって言いたいんだろうが、決してそうじゃあないんだ。」
「・・・・・・。」
「人間は、真っ白で生まれてくる。」
「ま、真っ白?」
「ああ、生きるための最低限の知識だけを持って生まれてくるってことだ。
息をすること、泣くこと、そしておっぱいを飲むことだけをな・・・。」
「・・・・・・。」
「だから、そこにお父さんやお母さんの助けが無ければ、生まれてきた赤ん坊はすぐに死んでしまうんだ。
それは、哲司にも分かるだろ?」
「う、うん・・・。」
「着るものを着せて、お風呂にも入れて、おっぱいを飲ませて、ゲップもさせて、オシメを取り替えて・・・。
そうした作業は、お父さんとお母さんがやってくれたんだ。
それも、毎日毎日だ。休むことなんか出来はしない。
そして、少し大きくなってくると、おっぱい以外のご飯を食べさせて、ハイハイをするようになれば、今度は立ち上がることを教える。
立ち上がれるようになったら、今度は歩くことを教える。
それとともに、少しずつだが言葉を教えていく。」
「こ、ことば?」
「ああ、そうだ。
哲司は、小さい頃、犬のことを“ワンワン”って言ったことを覚えてないか?」
「う、う~ん・・・、言ってたような気もするけれど・・・。」
「それだって、お父さんかお母さんが教え筈なんだ。
絵本で犬の絵を見せたり、あるいは公園かどこかで実際の犬と遊ばせるようにしてな・・・。」
「う~ん・・・、そ、そうなのか・・・。」
哲司は、可能な限り、自分の過去の記憶を遡っていく。
(つづく)