第9章 あっと言う間のバケーション(その73)
「う、うん・・・。」
哲司も、お盆を持っている両手がそれを感じる。
「で、これをこう押すんだ。」
祖父は、今度は哲司の両手の上から手を添えて言ってくる。
そう、具体的な動きを哲司に教えてくる。
「あああ・・・、な、なるほど!」
哲司は感心する。
祖父の手は、テーブルの角に乗せたお盆をすっと滑らすようにしてテーブルの中ほどへと押し出したのだ。
そう、どちらの手から離すべきかを迷う必要なんて無かった。
先ほど立ち往生したのが嘘のようだ。
今から考えれば、本当に他愛のないことではある。
それこそ、たかがお盆で味噌汁を運ぶだけの作業なのだが、生まれて初めてやる哲司にとったら、まさに衝撃的な出来事だった。
「な、何でも自分でやってみるってことがどんなに大切なことか分かっただろう?」
「う、うん、うん・・・。」
哲司は、祖父に手を添えてもらいながらも、こうした作業が出来たことに興奮を覚えていた。
「だからな、給食当番も、掃除当番も、誰かのためにじゃあなくって、それこそ自分のためにやることなんだ。
そうした、所謂日常生活の基本が出来ないままで大人になったら困るだろ?
まさか、大人になって、“僕、お盆で料理を運んだことはありません”なんて恥ずかしくって言えやしないしな。」
祖父は、哲司の頭にそっと手を置くようにして、そう言ってくる。
「う、うん・・・、そうだね・・・。」
哲司も、祖父の言う事を「なるほど」と理解をする。
「だから、“やらされてる”って思わないことだ。」
「ん? “やらされてる”?」
「ああ、そうだ。学校の勉強もそうだし、宿題もそうだ。そして、こうした家での作業もそうだ。
誰かに言われてやるんだと、どうしても“やらされてる”って思うだろ?」
「う、うん・・・。」
哲司は否定できない。いや、現状で言えば、まさに「そのとおり」なのだ。
「そこからが間違ってるんだ。
哲司はまだ子供だ。だから、いろんな人からいろんなことを教えてもらう必要がある。
そのことは分かるだろ?」
「う、うん・・・。」
「そのいろんな人の代表的なのが、学校の先生であり、哲司のお父さんやお母さんなんだ。」
「えっ! お父さんお母さんも?」
哲司は、そうした感覚は持っていなかった。
「ああ、もちろんだ。その責任の大きさから言えば、学校の先生より上だろう。
何しろ、今日まで、哲司が育ってきたのも、お父さんとお母さんの努力と愛情があったからこそなんだしな・・・。」
祖父は、哲司の反応に少し驚いたようだった。
(つづく)