第9章 あっと言う間のバケーション(その68)
「で、でも・・・、この箸箱・・・、良いよねぇ・・・。」
哲司の口からふとそんな言葉が漏れた。
特に意識したものではない。自然に出た言葉だった。
そして、そっとその箸箱を撫でるようにする。
まるで、祖父や祖母の手に触れたときのような温かみを感じる。
「そ、そうか・・・。」
祖父は祖父で、哲司のその言葉にそう答えただけだった。
やはり、祖母のことを思い出しているのだろう。
「これってプラスチックじゃないんだね・・・。」
哲司は、そうしてじっくり箸箱に触れてみて気が付く。
プラスチック製以外の箸箱に触れたことがなかったから、箸箱は皆プラスチックで出来ていると思っていた。
「ああ・・・、それは木製だ。もう何年も、いや何十年も使っているから剥げてしまっているが、最初はその表面に漆が塗られていたんだ。」
「えっ! う、うるし?」
哲司は、「漆=かぶれる物」というイメージしかなかったから驚いてしまう。
「ああ、そうだ。鶴と亀の絵が描いてあってな、その上から漆が塗られてたんだ。
と言っても、安物なんだが・・・。
婆ちゃんがお嫁に来るときに、里、つまりは実家から持って来たものだ。」
「へ、へぇ~・・・、婆ちゃんがお嫁に来るときに?」
そうは言っても、哲司には、祖母の花嫁姿は想像できない。
「そんなに気に入ったのなら、そうだな、哲司が大人になって結婚するときには、爺ちゃんがそうした夫婦用の箸箱と箸をお祝いにプレゼントしよう。」
「えっ! ほ、ほんと?」
「ああ・・・、それまで、爺ちゃんが生きていたらの話だが・・・。」
「そ、そんなぁ~・・・。死んだら、嫌だよぅ~!!!」
哲司は、本心からそう思った。
「おう! 少し早いが、そろそろ晩飯にするか・・・。なっ!」
祖父は、どうしてか、急に思い立ったようにそう言ってくる。
「う、うん・・・。」
哲司も、祖父のその言葉で、手にしていた箸箱を元の位置にそっと戻す。
「じゃあな、今から材料を運ぶから、哲司も手伝ってくれ。」
祖父はそう言って台所へと向かう。
「う、うん。」
そう言って、哲司がその後を付いていく。
「あいよ、これ、テーブルのところに運んでくれ。それとな、これを運び終わったら、そこのガス栓に、さっきのゴムホースの反対側を差し込んでくれ。
それで、さっきと同じように、クリップをしっかりと止めてな・・・。」
祖父は、哲司に材料が乗ったザルのような器を手渡してきてそう言った。
哲司は、それを両手で受け取りながら、これから自分がやらなければならないことを頭に思い描いている。
(つづく)