第9章 あっと言う間のバケーション(その65)
「よ~し! これで、ほぼ晩飯の準備は整ったな。」
祖父は、哲司の頭にそっと手を置くようにしてそう言ってくる。
「じゃあ、お茶碗とお箸も並べておく?」
「そ、そうだな。じゃあ、そうしてもらおうか。」
「う、うん・・・、分かった。」
哲司は小走りで食器戸棚のところへと行く。
自分で取り出したことはなかったが、母親達が食事の準備をするのに、その食器戸棚のところから茶碗と箸を取り出してくるのを見ていたからだ。
そこに行けば分かるだろうと思った。
「ええっと・・・。」
哲司が戸棚のガラス戸を開けて、その中を目で追うようにする。
「ん? 茶碗は一番右、箸はその下の引き出しに入ってる。」
祖父は、哲司が何に迷っているかが手に取るように分かるらしい。
そう具体的に言ってくる。
「う、うん・・・、ああ、こ、これだね・・・。」
哲司は目で茶碗を確認する。
祖父が言ったとおりに、棚の一番右端にそれは重ねてあった。
大きな祖父の茶碗の上に、その半分ぐらいの大きさしかない哲司の茶碗がちょこんと被せられていた。
まるで、祖父の茶碗が哲司の茶碗をおんぶしているようにだ。
哲司は両手を使った。
まずは左手で自分の茶碗を持ち上げる。そして、今度は右手で祖父の茶碗を持つ。
それで、そのままの体勢でテーブルのところへと持っていく。
そう、両手にひとつずつの茶碗を持つようにしてだ。
茶碗の在処には迷ったものの、食卓として使うテーブルでの位置は迷わなかった。
祖父の座る席が決まっていたからだ。
で、そこに右手で持って来た祖父の茶碗を伏せて置き、今度はテーブルを迂回して、その真向かいの席に左手に持っていた自分の茶碗をこれまた伏せて置く。
で、また食器棚のところへと取って返して、開いていたガラス戸を閉めてから、今度はその下の引き出しを開ける。
箸を取り出そうとしたのだ。
祖父の家では、箸箱が使われていた。
そう、ひとりずつの箸を、ひとつずつの箸箱に入れておくのだ。
これを初めて見たとき、哲司は「ン? これって、どうして?」と疑問を持った。
家では、そうした個人用の箸箱なんて使っていなかったからだ。
箸箱と言えば、給食用に使う箸か遠足に持っていく場合だけ。
つまりは、家から出たところで食べる場合に限られていた。
それなのに、祖父の家では、家で使うにも関わらず、そうした箸箱に入れられていた。
その理由がどうにも理解できなかったのだ。
今でも、その確たる理由は分っていない。
それでも、こうして自分専用の箸箱を与えられると、どうしてか1人前に扱ってもらえているようで嬉しくなるものだ。
で、ふたつの箸箱を取り出す。
祖父の箸箱は格段に大きいものだった。
(つづく)