第1章 携帯で見つけたバイト(その8)
「そこの2人、付いて来てくれ。」
室内担当の責任者だと紹介された香川という男が言う。
「おい、ちゃんと名前ぐらい呼べよ。」
哲司は瞬時にそう思った。
だが、黙ってついていく。
今はそれしか無いと思っている。
例の「シカトオタク」の山田も同じように思っているらしい。
その哲司の後を黙ってついてくる。
ビルの中へ入っていく香川という男の後ろを追いかける。
どうやら引越しをする部屋へ行くようだ。
3基あるエレベーターのうち、右端の1基の前には既に防護シートのようなものが貼られていた。
今回の引越しのために、その1基を専用として押さえてあるらしい。
「本日午前中は、引越し専用となります」と書かれた紙が張り出されている。
そのエレベーターは既に手動に切り替えられているらしく、香川が行くと傍にいた若い男が軽く頭を下げて中へと案内する。
香川に続いて哲司と山田が乗り込むと、その若い男も乗り込んでくる。
「では、参ります」と言ってから、行き先ボタンを押して扉を閉めた。
エレベーターが動き出す。
どうやら8階まで行くようだ。
「廊下などの養生は終わったのか?」
香川主任がその若い男に訊く。
「はい、殆ど終わったと思います。近藤主任が陣頭指揮されてましたから。」
若い男は、そのように答えた。
「ふん、そっか、じゃあ、しっかりと頼むぜ。」
香川はなぜかしら不機嫌な言い方をした。
8階に着いて、扉が開いた。
「シカトオタク」の山田が真っ先に降りた。
扉に一番近い所にいたのは事実だった。
だが、それを見て、香川主任の動きかけていた足が止まったのを哲司は感じた。
「あっ!怒ってる。」
哲司の直感である。
引越しをする部屋は左側にあるようだ。
それは、誰に言われなくとも、床に施された養生で知れる。
その養生の上を、香川は黙って足早に進んでいく。
その歩き方にも不機嫌さがありありと浮かんでいる。
「朝から何をカリカリ来てるんだろう?
でもなぁ、こいつもドジな事をするぜ。」
平気な顔をして香川主任の後を歩いていく山田の背中を見ながら、哲司はこれから先にも、何か起こりそうな嫌な予感を感じた。
「機嫌の悪い奴ってのは手に負えんことがあるしなぁ。
おまけに、このシカトオタクだ・・・・。
この2人と関わらないで作業が出来ればいいのに。」
ますますこのバイトを選んだ事が失敗だったような気がしてくる。
(つづく)