第8章 命が宿るプレゼント(その111)
「こ、言葉を拾う?」
哲司は、チンプンカンプンだ。
その戸惑いが哲司の顔に表れたのだろう。
祖父がにっこりとしながら軽く唇を舐めた。
「言葉は形が無いものだしな。
どこに暴投しても、それを拾いには行けないんだ。
分かるだろ?」
祖父は、改めて言って来る。
「う、うん・・・、それは、そうだけど・・・。」
哲司は納得が出来ていない。
改めてそう言われると確かにそのとおりなのだが、さっき感じたチンプンカンプンさを埋めてくれるものではなかったからだ。
「だから、言葉は、ちゃんと相手の胸に届くように、そして、その相手が心のグラブでちゃんと受け止められるように投げることが必要なんだ。」
「心のグラブ?」
「ああ・・・、そうだ。
人間は、他人の言葉を耳だけで聞くんじゃない。
一旦は耳で聞くんだが、その後は、この胸、つまりは心、気持ちで聞くんだ。
だから、強すぎてもいけないし、弱すぎてもいけない。
その相手の心のグラブにあわせた強さも加減することが大切なんだな。」
「・・・・・・。」
「哲司だって、キャッチボールはほぼ同年代の子とやるんだろ?」
「う、うん・・・。」
「高校生や中学生とはやらないだろ?」
「そ、そうだね。」
「どうしてだ?」
「う~ん・・・。」
「それだけ歳が離れていると、強すぎてボールが受けられないと思うからじゃないのか?」
「そ、それもあるかも・・・。」
「それと同じなんだ。言葉のキャッチボールもな。
だから、テレビに出てくるタレントなんかの言葉が駄目だと言ってるんだ。」
「ん?」
「テレビの前には、いろんな人がいるんだ。
爺ちゃんのような年寄りもいるし、哲司のような小学生もいる。
哲司のお母さんのような女性もいるし、お父さんのような男性もいる。
そうした相手に、それこそ、自分勝手な言葉で一方的に話してるんだからな。
言葉は相手の胸を目掛けて投げなきゃいけないのに、どこの誰に投げているのかさえ分かっちゃいないって投げ方だ。
まさに、哲司が言うとおりの暴投だ・・・。」
「な、なるほど・・・。」
「本にも良い本と悪い本があるように、テレビにも、良いテレビ、悪いテレビがある。
それをちゃんと見分けないと、これからますます酷いことになる。」
祖父は、怒りを押し殺すようにして言って来る。
(つづく)