第8章 命が宿るプレゼント(その39)
「う~ん・・・、聞いたことがあるようなないような・・・。」
哲司は素直に答える。
ただし、それがどのようなものであったかという実感はまるで無い。
テレビで見た「核シェルター」が頭に浮かぶ反面で、そんなものじゃなかっただろうという思いもどこかにあった。
「まぁ、都会にあるそれは殆ど役に立たなかったんだが・・・。
それでも、空襲警報が鳴ったら、兎に角近くの防空壕へという意識は24時間持っていた。」
「クウシュウケイホウって?」
「サイレンが鳴るんだ。ウゥ~ってな・・・・。」
「サイレン?」
「ああ・・・、アメリカ軍の爆撃機が来たら、それが街中に鳴り響くんだ。
夜でもな。“逃げろ!”って。」
「よ、夜でも?」
「ああ・・・、だから、布団に入るときも昼間と同じ格好だったんだ。
いつでも、外に出られるようにな・・・。」
「・・・・・・。」
そう言えば、テレビのドラマでそんな場面を見たような気もするが、はっきりとはしない。
もちろん、興味も関心もなかったからだ。
「だが、あの阪神大震災の時には、皆にそうした覚悟も何もなかったんだろうと・・・。
何しろ、誰もが予想などしていなかったことだったしな。
だからこそ、5000人もの人が死んでしまったんだ。」
「ご、五千人? そ、そんなに?」
「それだけ、自然を恐れなくなっていたんだろう。
言い換えれば、コンクリートで作った物への過信、いや、現代文明への過信があったのかもしれない。
あの地震が起きたのが午前6時前だ。
だから、あれだけの死者で済んだっていう意見もある。」
「ん? どうして?」
「あれが昼間だったら、もっと死者が多かったんじゃないかって・・・。
だって、電車や自動車に乗っている人がもっと多かっただろ?」
「ああ・・・、それで?」
「それに、火事もあんなものじゃなかっただろう。
もっと広範囲で燃えたと思う。」
「う~ん・・・。」
哲司は、テレビで見た火災の映像を思い出す。
「もっと前だが、関東大震災ってのがあった。
1923年、大正12年のことだ。
その地震は、午前11時58分、つまりは真昼間に起こった。
で、死者は14万人を超えて、燃えた家は44万を超えたってことだ。」
「えっ! そ、そんなに?」
「ああ・・・、だから、単純に数だけで見れば、阪神大震災のほうが被害は小さかったと言える。
それでも、誰もがショックだったのが、どんな地震にも耐えられると考えられていた高速道路の橋脚がものの見事に倒れた事だった・・・。」
祖父の声が、静かにだが、哲司の身体に突き刺さるように響いてくる。
(つづく)