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第7章 親と子のボーダーライン(その248)

哲司は、両親のことを頼りにしていた。

それは、どこの子供もがそうであるように、自分では出来ないことがあまりにも多かったからだ。


幼稚園に入る頃には、ひとりで服も着られなかった。

たまに失敗してオネショをしても、自分ではどうすることも出来なかった。

どこに行くのでも、母親に手を引いてもらっていた。


それから、少しずつ親の手を離れる時間が増えて来る。

幼稚園の年中組、年長組、そして小学校へと・・・。

そして、それまではなかった子供同士の社会との関わりが増えてくる。


それと共に、親との距離感が分かり辛くなっていた。

いつまでも、母親の手を当てには出来なくなった。



子供の哲司もそう思っていたが、どうやら両親も哲司との距離を測りかねていたように感じる。


それまでは、「ああ、それは駄目よ」と注意をされていたことが、「だから、言ってるでしょう」に変って来る。

つまりは、「教える」から「叱る」になる。


それでも、そこまでは子供として我慢が出来る。

何しろ「親が言ってるんだから」と整理することが可能だったからだ。


だが、そこから先へと進まれると、これは厄介なことになる。

「何度言ったら分かるのよ!」に変わってくるのだ。

それは、「叱る」の範囲を超えて「怒る」になっている。

そう、親の感情がそこに入ってくるようになる。

そして、その傾向は、哲司が成長するにしたがって、次第に大きくなってくるようだった。



親が「怒る」と、子供にとっては碌なことにならない。

無関係な他のことにも影響が出てくるからだ。

そのことは、経験を重ねるたびに強く思うようになった。


したがって、子供の立場としては当然に防御を考える。

つまりは、親に「怒り」を感じさせないことだと悟るのだ。

そこで、事実を言わなかったり、意識して隠したりするようになる。


子供は、「オベンチャラ」が言えない。

それは、学校の友達に対してもそうだが、自分の親に対してはなおさらである。

大人のように、心にも無い「褒め言葉」は口にしないし、出来はしない。



確かに、お婆さんが言っていることは「ごもっとも」であり、「そのとおりだ」とは思う。

それでもだ。

自分の親に対して、その都度「ありがとう」という言葉は使えない。


それが、小学校3年生となった哲司の偽らざる心境だった。



(つづく)




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