第7章 親と子のボーダーライン(その241)
(爺ちゃんも、こうなってしまうんだろうか?)
哲司は、やはり祖父の姿を重ねて見てしまう。
「お婆ちゃんは、幾つなの?」
哲司は、お婆さんの年齢が気になった。
「あははは・・・。もう、忘れちまったよって言いたいんだけどねぇ・・・。
パッパになった。」
「パッパ?」
「八十八だよ。昔の言い方をすれば“米寿”って言って祝うんだけど・・・。」
「ベイジュ?」
哲司が初めて聞く言葉だった。
「ああ・・・、お米って言う字を知ってるだろ?」
「う、うん。」
哲司も、それは学校で習っていた。
その字を頭に思い浮かべる。
「米って言う字を書いてご覧よ。漢字の八・十・八で出来てるだろ?」
「ああ・・・、そうだね。」
哲司もなるほどと思う。
「それで、数えの88歳を米寿って言うようになったんだろうね。」
「カゾエって?」
哲司は、またまたその意味を問う。
哲司は自分でも不思議に思う。
学校や家では、そうした疑問を感じてもそれを自ら問うようなことは出来なかった。
知らないことを悟られたくは無いって思いが強かったのだろう。
それなのに、祖父やこのお婆さんなどには、自然と素直に問えるのだ。
「それって、な~に?」と。
「ああ、そうだねぇ・・・。今は、皆、満で言うんだよねぇ・・・。」
「・・・・・・。」
「昔はねぇ、毎年のお正月が来るとひとつ歳をとったんだよ。」
「お、お正月に? 誕生日じゃなくって?」
「ああ・・・、そうだよ。何月に生まれようと、お正月にひとつ歳をとるんだ。
だから、お目出度いんだよ。
それとね、生まれたときが1歳なの。」
「ん? ゼロじゃなくって?」
「そうなんだよ。生まれたら、もうその時が1歳。
で、次のお正月がきたら、2歳になるの。
そうして数えた歳のことを“数え歳”って言うんだよ。
もう、殆ど使われちゃあいないけれどね。」
「ヘェ~、そ、そうなんだ・・・。」
哲司は、もうひとつピンと来なかった。
それでも、昔の歳の数え方と今の数え方が違うことだけははっきりと分かった。
それで納得することにする。
「じゃあ、ボクは、幾つなの?」
お婆さんは楽しそうに訊いてくる。
(つづく)