第7章 親と子のボーダーライン(その238)
「え~と・・・、ボクちゃん、名前はなんてたっけ?」
お婆さんが訊いてくる。
どうやら、哲司の名前が出てこないようだ。
おじさん警察官がちゃんと紹介してくれたのにだ。
「僕は、巽哲司。」
「ああ、そうそう、哲司君だったね。ご免よ。
婆ちゃんぐらいになると、なかなか、名前が覚えられなくってね。」
「ううん・・・、良いけれど・・・。」
「喉乾いたろ? ジュースでも飲むかい?」
お婆さんが気を遣ってくれる。
「ううん、大丈夫だよ。」
哲司は遠慮をした。
寝たっきりのお婆さんに、そんなことをさせられないし、出来ないだろうとも思ったからだ。
「まあ、そんなことを言わないで・・・。
丸子や。」
お婆さんの呼びかけに、丸子ちゃんがお婆さんの顔をじっと見る。
「丸子や、“レ・イ・ゾ・ウ・コ”に行って。」
お婆さんが丸子ちゃんに言った。
“レ・イ・ゾ・ウ・コ”と、区切ってだ。
すると、丸子ちゃんは、すくっと立って、そのまま歩き始める。
「ボクちゃん、丸子の後ろを付いて行ってやって。
で、冷蔵庫の中に入ってるジュースを出してきて。」
「う、うん・・・、分かった。」
哲司もお婆さんの言葉に従うことにする。
既に丸子ちゃんが廊下で待っていてくれたからでもある。
哲司が廊下に出る。
すると、丸子ちゃんはそれを確認して、ゆっくりとその先に進んでいく。
時折、立ち止まっては哲司を振り返ってくる。
何とも賢い犬だ。
で、台所に入った。
哲司の祖父の家のそれよりも一段と広い感じがした。
「クイーン。」
丸子ちゃんが小さく鳴いた。
そして、その場でちょこんと正座をする。
そこは、まさに冷蔵庫のまん前だった。
「ありがとう。」
哲司は思わずそう言った。
初めて丸子ちゃんに声を掛けたことになる。
(つづく)