第7章 親と子のボーダーライン(その230)
「哲司君ももう気が付いているかもしれんが、この子、殆ど吼えないだろ?」
おじさん警察官が丸子ちゃんを手招きしながら言う。
「ああ・・・、そ、そうだね・・・。」
そう言われればそうだなと哲司は思った。
確かに吼えない。
こうしていても、すぐ傍に初めて出会った犬がいるとは思えないほどだ。
ただ、小さな、それでいて人間のそれよりも忙しそうな息が聞こえるだけだ。
おじさん警察官に「おいでおいで」をされた丸子ちゃんは、お婆さんの顔を伺うように見る。
そして、お婆さんが頷くのを見てから、ゆっくりとおじさんの傍へとやってくる。
「そうした、人間と暮らすための躾がちゃんと出来ていたんだな。
それと、性格も良い。
初めてここに連れてきたときも、まさに“借りてきた猫”のように大人しかったんだ。
で、婆ちゃんが“おいで”と言うと、素直に尻尾を振ってな。
そう、この短い尻尾をだ。
それで、婆ちゃんに身体を摺り寄せていくんだ。」
「・・・・・・。」
「で、一晩、ここに置いてみることにしたんだ。実際に、婆ちゃんとふたりだけで上手くやれるのかを確かめるためにな。
それで駄目なら、保健所に返しに行くつもりだったんだ。」
「で?」
哲司は、その先を聞きたくなる。
「翌朝一番で来てみたんだ。
するとだ・・・。今日と、同じだったんだ。」
「ん?」
「さっき、この子が出迎えに来てくれたろ?」
「ああ・・・。」
哲司の脳裏にも、その場面が蘇ってくる。
短い足で、廊下をドタドタと走ってきたあの姿を。
「そうなんだ。婆ちゃんが、“お客さんが来たから、見てきておくれ”って言ったんだそうだ。
まさか、本当にそうするとは思わなかったそうだが・・・。
なぁ、婆ちゃん・・・。」
「うんうん・・・、そんなこともあったねぇ・・・。」
お婆さんが布団の中から答えてくる。
「えっ! さ、最初から?」
哲司が問い返す。
「ああ・・・、そう言うことなんだ。何しろ、人間の言っている事がよく理解できるんだな。
婆ちゃんもおじさんも、それには驚いたんだ。
で、それから、いろいろと試してみたんだ。」
「た、試すって?」
「どれだけの言葉を聞き分けられるのかってことをだ。」
「・・・・・・。」
哲司には、もう想像が出来なかった。
(つづく)