第7章 親と子のボーダーライン(その220)
「横綱だ、チャンピョンだと言っても、喧嘩が強いってことじゃなくってな・・・。」
おじさん警察官が自転車を漕ぎながら説明をしてくれる。
「じゃあ?」
哲司は、ボクシングのチャンピョンを思い出していた。
家で、父親がよくテレビを見ていたからだ。
「この辺りは農業が主体だ。いや、それしか出来ないってこともある。
今でこそ、トラクターや耕運機なんていう機械が殆どの家にあるが、昔は、そうだなぁ、哲司君のお母さんが子供の頃は、まだ牛がその代わりをしてたんだ。」
「う、牛が?」
「確か、その頃には、周蔵爺さんちにも牛がいたと思うんだが・・・。
いやいや、牛だけじゃなくって、ニワトリや豚もいたんじゃなかったかなぁ・・・。」
「ええっ! そ、そうだったの?」
哲司には、想像がつかない。
あの爺ちゃんの家の庭に、そうした牛や豚やニワトリがいる光景が信じられない。
「かと言って、その牛は、別に食べるために飼ってたんじゃないんだ。
言うなれば、労働力の一翼を担っとった。つまりは、働き手だ。」
「・・・・・・。」
「牛は力持ちだ。重たい荷物を載せた台車をいとも簡単に引っ張ってくれる。
畑や田んぼを耕すのも、牛が“からすき”や“まんが”という農機具を引っ張ってくれていたんだ。」
「ま、漫画?」
哲司は、その言葉だけに反応した。
「あははは・・・、哲司君が言ってるのは雑誌なんかに載ってる漫画だろ?
そうではなくって、田んぼに水を張って、田植えをする前に水田面を平らにする農機具のことだ。それを“まんが”と呼んでいたんだ。
だから、牛がいなかったら、到底そうした作業は出来なかっただろうな。
つまりは、牛は、昔の農家には絶対になくてはならない存在だったんだ。
家族と同じだったんだ。」
「ヘェ~、そうなんだ・・・。」
「でもな、時代の流れなんだろうな。トラクターや耕運機という機械がどんどん入ってきて、牛を飼う農家が減っていった。
今でも牛を飼っている家ってのは、ほんの数える程度しかない。
そのうちの1軒が、さっきの陽子ちゃんちだ。」
「じゃあ、その牛は、今でも働いているの?」
哲司は、単純にそう思った。
「いや、そうではないんだ。
村には、秋祭りがある。古くからある祭りでな、無事に収穫期を迎えられたことを神様に感謝するお祭りなんだ。
その祭りの神事として、牛が米俵を背負って神社に通じる坂道を駆け上がって、翌年の吉兆を占うってのがあるんだ。」
「う、うらない?」
「ああ、牛がものの見事にその坂を駆け上がったら、翌年もきっと豊作になるって信じられていたんだな。」
「へぇ~・・・。」
「その神事のための牛として、大切にされているんだ。あのカウっていう牛は。
何しろ、他の牛が失敗するぬかるんだ坂道でも、平気で一気に駆け上がれる力があってな。失敗した事が無いんだ。
そういう意味でのチャンピョンなんだな。」
おじさん警察官は、息を切らせながらも、分かり易く説明してくれる。
(つづく)