第7章 親と子のボーダーライン(その176)
「だからな、誰かさんのようにだ、親が手伝うつもりで作った工作を、そのまま僕が作りましたって顔で出すのは、勉強というチャンス、努力をするというチャンスを与えてくれた先生を冒涜することになる。」
「ボ、ボウトクって?」
「そうだな、つまりは、先生を馬鹿にしてるってことだ・・・。分かるだろ?」
「う、うん・・・。」
「自分でやるのが勉強だろ? 親や友達がやったって、そいつは本人に何の知恵も付かないってことだ。
学校の成績は、そりゃあ良いに越したことは無いが、そんなものは長い一生から見れば屁みたいなものだ。
学校ではな、良い成績を取ることよりも、まずは沢山の友達を作ることだ。
そして、その友達と、時間を忘れるほどに遊ぶことだ。
それも、身体を使ってな。」
「ゲームは?」
哲司は、自分が好きだから、ついそう訊いた。
「ゲームって? 将棋とかか?」
祖父には、テレビゲームのイメージは無いらしい。
「まあ、そんなもんだけど・・・。」
哲司は、敢えてテレビゲームだとは言わなかった。
いや、言えなかった。
祖父が、「ゲーム」と聞いて首をかしげたからだ。
「家で遊ぶのは辞めた方が良い。お互いのためにならん。」
祖父は、ゲームそのものより、室内か屋外かが重要なようだった。
「ど、どうして、家の中での遊びは駄目なの?」
哲司は、その部分は納得できなかった。
例えば、雨が降ったりすれば、当然のように室内で遊ぶことになるからだ。
そこまで禁止されては・・・と思う。
「う~ん、昔からな、“晴耕雨読”っていう言葉がある。」
「セイコウウドクって?」
「こんな字を書く。」
祖父は、そう言って、手にしていた1本の竹で、地面の上に「晴耕雨読」と書いてみせる。
哲司も、その一文字一文字は知っていた。
「晴れた日には畑を耕し、雨の日には本を読むって意味だ。
つまりはだ。晴れた日には外で身体を動かし、雨の日は室内で読書、言い換えれば勉強をしなさいってことだ。」
「・・・・・・。」
「それが、自然から教えられた人間のあるべき姿なんだ。
つまりは、自然が、そうして生きなさいよと教えてくれているんだ。
それは、さっき話に出た、おやつと同じだ。」
「ん?」
哲司は、「晴耕雨読」と「おやつ」が関係するとは思えなかった。
その顔をみて、祖父が楽しそうに笑う。
(つづく)