第7章 親と子のボーダーライン(その145)
そう言えば、ここに来るたびに、祖母は哲司にハンバーグを作ってくれた。
もちろん、哲司も大好物だったから、文句などあろう筈も無かった。
そして、その都度「美味い」と喜んだものだった。
だが、今の話しは初めて聞いた。
それまでは、祖母はハンバーグなど作ったことも無かったのである。
子供心にもジンと来るものがあった。
「お婆ちゃんもこの魚とおんなじだ。」
祖父は溜息をつくようにして言う。
「この魚と?」
哲司は、両手に持って食らい付いている魚を見る。
「山女は川で一生を過ごす。海にも出ない。
お婆ちゃんも、結局はこの村から一度も出なかった。
哲司のお母さんからも、何度も泊まり掛けで遊びに来いと誘われたが、その都度、そう言ってくれる気持だけを嬉しく貰っておくって言ってな・・・。」
「旅行にも行かなかったの?」
「そ、そうだなぁ・・・。毎日の畑仕事があったしな・・・。」
「そ、そんなもの・・・、休んじゃえば良いのに・・・。」
哲司は、まるで自分をそこに重ねるように言う。
「お婆ちゃんは、それができなかったんだな。
畑には、野菜がたくさんあったしなぁ。その世話は、一日たりとも休めないんだ。」
「ど、どうして?」
哲司には、それが不思議に思える。
「野菜も魚や人間と一緒でちゃんと生きてるんだ。
雨が降らなければ、川から水を取ってきて撒いてやる。
そうしないと、喉が渇いて死んでしまう。つまりは、枯れてしまう。
野菜は、自分では動けない。
暑いからと日陰に移動することも出来んし、喉が渇いたからって、自分で川に水浴びに行くわけにもいかん。
だから、毎日の世話が必要なんだ。」
「ど、どうして、そこまでしなけりゃ行けないの?」
「それは、そうした野菜にも命があってだ、その命を我々人間が頂戴するからだ。」
「じゃ、じゃあ、このヤマメと一緒ってこと?」
「おうおう、そういうことだ。よく分かったな。」
祖父は、嬉しそうにする。
「それでも、死ぬまでに、一度ぐらいは旅行をさせてやりたかったなぁ・・・。」
祖父は、そう言いながら、仏壇のところにおいてあった祖母の遺影に目を向ける。
そして、しばらくは、哲司の方に顔を向けては来なかった。
哲司は、黙ってヤマメの塩焼きの味を噛み締めていた。
(つづく)