第7章 親と子のボーダーライン(その139)
その結果、法事が終わって両親が家に戻ることになっても、哲司だけが田舎に残った。
別に、この田舎の生活が好きだったわけでもない。
どちらかと言えば退屈なところだ。
それでも、「残るか?」と言われて、「いや、帰る」とは言えなかった。
今でも、その時、どうしてそう思ったのかは思い出せない。
それから、祖父との生活が始まった。
女手がいないから、祖父は何でも自分でやった。
料理、洗濯、掃除・・・。あらゆる家事を、まるで昔からそうしてきたかのようにテキパキとこなす。
法事の期間は、親戚の叔母たちがそうしたことをやってくれていたが、祖父にしたら、どうやらそれもあまり気に入らないようだった。
さすがに冷蔵庫と洗濯機はあったが、祖父の家には電子レンジもなければ、掃除機も無かった。
掃除は箒を使っていた。
クーラーも無く、夏でも扇風機がカタカタと回っていた。
基本的に、そうした家事を午前中に済ませると、午後からは3キロ離れた公民館で開かれている老人クラブへと顔を出す。そこで囲碁を打つ。
もちろん、往復とも歩いてだ。
自動車どころか、自転車にも乗ったりしない。
そして、夕刻、風呂に入ってから夕食を作って食べる。
それが済んだら、囲炉裏端で竹細工を作る。
午後の10時ごろには布団に入る。
そんな一日だった。それを毎日繰り返しているらしい。
その最初の朝、哲司はいつもにはない気配で目を覚ました。
目を開けて、改めてそこが自分の部屋でないことを思い出す。
時計を見ると、何と、6時半である。
いつもは、まだまだ夢の中の時間だ。
台所の方で何やらトントンと音がする。
それと共に、何とも懐かしい匂いがしてきた。
そう、味噌汁の匂いである。
最近は朝食にパンを食べるようになっていた哲司には、その味噌汁の匂いが懐かしく思えたのだ。
(ん? お爺ちゃん、もう起きてる?)
他には誰もいない筈だから、祖父が起きていることには間違いはないのだろうが、こんなに早く・・・というのが実感だった。
ランニングシャツと半ズボンに着替えて、その音がする台所へと行く。
「おはよう・・・」と声を掛ける。
「おお・・、早いんだなぁ・・・。感心感心・・・。」
祖父は、その時間に哲司が起きてきたことが嬉しかったようだ。
皺の目立つ顔で笑顔を作ってくれる。
(つづく)