第7章 親と子のボーダーライン(その95)
案の定、哲司は珍しくも、靴を脱いで家に上がった。
いつもであれば、その位置で出迎えた母親に鞄を手渡し、「ちょっと遊んでくる」と再びその玄関から飛び出していく。
決して、靴を脱いで家に上がったりはしない。
それなのに、その哲司が自分から靴を脱いで上がったのだ。
「今から宿題かい?」
「う、うん・・・。」
「じゃあ、ジュースでも入れてあげようかね。」
「さ、サンキュー・・・。」
互いに慣れない会話のためか、話していても何となくしっくり来ない。
まるで他人を演じているような顔をする。
「ああ、そうだ!」
「ん? 何だい?」
「今日、晩御飯要らないから・・・。」
哲司は、忘れないうちに言っておこうと思った。
「おや? ど、どうしてだい?」
「友達んちで、誕生会があるんで・・・。」
「へぇ〜、そらまた珍しい・・・。で、誰の誕生日なの?」
「同じクラスの子。」
「名前は?」
「誰だって良いだろ?」
哲司は、美貴の名前を出したくはなかった。
「そ、そうはいかないよ。今度、保護者会でお会いしたとき、その家のお母さんにはちゃんとお礼も言わなきゃいけないし・・・。」
母親は頑として譲らない。
「お母さんの知らない子だよ。」
「そ、それはそうかもしれないけれど・・・。兎に角、名前だけは教えてよ。」
「ど、どうしてよ・・・。」
「親には親のお付合いってのがあるんだし・・・。知らん顔ってのは出来ないのよ。
誰の家に行くの?」
「・・・・・・。」
哲司は返答に困る。
「りゅ、龍平んちだよ・・・。」
で、とうとう、そんな嘘が口を突いて出た。
「ああ・・・、龍平君のところ?」
そう聞いて、母親は小さく頷いた。
母親も、龍平のことはよく知っていたからだ。
親同士の付き合いはないようだが、哲司も龍平の家に遊びに行くし、また龍平も何度もこの家にやってきていた。
哲司の最も仲の良い友達のひとりとの位置付けだろう。
だが、このとき、哲司は自分の一連の言葉に辻褄の合わないことがあることに気がついてはいなかった。
その点が、哲司が哲司たる所以でもある。
(つづく)