第7章 親と子のボーダーライン(その91)
「今夜のこと、やっぱ、行かなきゃ駄目?」
哲司は、思ってもいなかった言葉が口を突いて出た。
半分以上は断ろうと思って口を開いたのだが、美貴に見つめられて、その言葉が消えてしまったのだ。
「龍ちゃんから聞いたんでしょう?」
美貴は、哲司の問いに答えないで、そう逆に訊いて来る。
「う、うん・・・、まあな・・・。」
「そ、それでも駄目? どうしても都合悪いの?」
「う〜ん・・・、別に、都合が悪いってことじゃなくって・・・。」
哲司は、もうシドロモドロである。
「う、うん・・・、わ、分かった・・・。」
美貴は、意外なほどあっさりとそう言った。
「じゃあ、帰るね。さよなら。」
そして、スカートの裾を翻すようにして、鞄を持って教室から駆け出て行った。
「・・・・・・。」
哲司は、まったく予想しなかった展開に、ただ呆然とするだけだった。
確かに、美貴の家に行くことには、どうしてか抵抗があった。
その理由は自分でも定かではない。
だからこそ、何とか、やんわりと断れる方法はないかと考えたりしていた。
それなのにだ、こうも簡単に美貴がそれを受け入れるとは・・・。
ほっとした反面で、何かとても悪いことをしたような気持になったのも、これまた事実だった。
「よし! 帰ろう。」
周囲に宣言するようにして、哲司も教室を出る。
もちろん、まっすぐ家に帰るつもりだった。
他の家とは違って、哲司の母親はずっと家にいる。
つまりは、専業主婦だ。パートもアルバイトもしてはいない。
だから、学校を終えると、一旦は家に戻る。
そうしなければ、母親が学校に電話を掛けるからだ。
それほどまでに煩かった。
そういう意味において、哲司は、夫婦共働きの家庭が羨ましかった。
学校が終わっての、つまりは放課後の自由な時間が羨ましかったのだ。
何時に帰ろうが、親が働きから戻ってくるまでに帰っておれば良いのだ。
「宿題は?」「今日のテストの出来は?」などと、いちいち言われなくって済む。
そうした、俗に言う「かぎっ子」が羨ましかった。
家への道を急いでいると、後ろから誰かが走ってくる足音が聞こえる。
大人が走ってくるものだとばかり思った哲司は、その邪魔にならないようにと、歩道の端を歩くようにする。
と、いきなり後ろから肩を掴まれた。
「い、痛て!」
哲司が思わずそう声をあげた。
(つづく)