第7章 親と子のボーダーライン(その86)
「ん? こ、今夜?」
哲司は、どうしてそんなことを訊かれるのかが分からない。
それに、そもそも、ここら辺りで美貴が哲司を待ち構えていることをどうして龍平が知っていたのかが納得できない。
同じように龍平の後姿を見つめながらも、美貴とはまた別の思いがあった。
「そう、今日の夜。」
美貴は、そんな哲司の思いを押しつぶすようにして言葉を重ねてくる。
「べ、別に・・・、予定なんてないけど・・・。」
「だったら、うちに来てよ。」
「ど、どうして俺が行かなきゃいけねえんだ?」
「良いから・・・ね。そうね、夕方6時。私の家、知ってるでしょう?」
「・・・・・・。」
哲司は即答できなかった。
第一、どうして呼ばれるのか、それが分からない。
そして、第二には、美貴の家をはっきりとは思い出せていなかった。
「行かないって言ったら?」
哲司は一旦は仮に否定してみる。
「う〜ん・・・、来てくれないの?」
「い、いや、だから・・・、仮にだ、仮に行かないと言ったら?」
「泣いちゃうかも・・・。」
「な、泣いちゃう・・・?」
まさに、それは哲司には信じられない言葉だった。
小学校の4年生である。
そりゃあ、今までにも、好きになった女の子はいる。
大抵は同じクラスの子だった。
それでも、その意中の子と1対1でこうした会話を交わした記憶は無い。
それだけに、「泣いちゃうかも」と言われたのは衝撃だった。
もちろん、そんな言葉を投げられたのは生まれて初めてだった。
「か、考えとくよ・・・。」
哲司は、ようやっとの思いで、それだけを言う。
今は、少なくとも、今、この場でどうこう答えてしまいたくはなかった。
「だったら、今日、帰るまでに返事くれる?」
美貴が上目遣いに言ってくる。
「ああ・・・、分かった。そうする。」
「・・・・・・。」
「じゃ、じゃあな・・・。」
哲司はそれだけを言って、龍平の後を追いかけるようにしてグランドへと全速力で走りだした。
どうしてそうするのかは自分でも分かってはいなかった。
ただ、無性に走りたかった。
「りゅ、龍平! ・・・この野郎! ・・・。」
哲司は、グランドにいた龍平の姿目掛けて体当たりをする。
むろん、小柄な哲司が弾き飛ばされるのが分っていてのことだ。
(つづく)