第7章 親と子のボーダーライン(その76)
「そこは、どこかのお寺の境内でさ・・・。」
龍平は哲司の顔を見ないで話してくる。
「お寺?」
哲司には、寺などに行った記憶は無い。
「そこに結構大きな池があったんだ。
で、その池に、蓮の花が咲いててさ。
ミィちゃんが、それを出来るだけ近くで見ようと近づいた。」
「お、落ちたのか?」
「ようやっと、思い出したか?」
龍平が哲司の顔を見る。
「い、いや・・・。池があって、そこに近づいたって言やあ、落ちたのかって思っただけで、思い出したんじゃない。
で、どうなった?」
「落ちたって言うより、片足を池に突っ込んだって感じで・・・。ズルズルと滑ったって言うところなんだろうな。」
「そ、それで?」
「その時、傍にいたのが俺でさ。ミィちゃんが思わず俺の腕を持ったんだ。
他に縋る物がなかったんだろうけれど・・・。
で、池から引き上げてやった。」
龍平は別に興奮することもなく、淡々と言ってくる。
「おう、カッコ良い所を見せて・・・。」
哲司はそう反応する。
「それはお前だよ。」
「ん? な、なんで、俺?」
「その時にさ、ミィちゃん、大切にしていたハンカチをその池に落としたんだ。」
「ほう・・・。」
「それをさ、取りに行ったのがお前だった。」
「ええっっっ! ・・・そんな?」
「しかもさ、穿いてた半ズボンを尻のところまで濡らせてさ。」
「い、池に入ったのか?」
「そ、そうだよ。思い出したか?」
「い、いゃ〜あ・・・。」
そこまで言われても、哲司にはそうした記憶の欠片もなかった。
半ズボンどころか、その下のパンツをずぶ濡れにして帰ったことは数え切れないほどあるが、そんな動機で自らが池に入ったという記憶はどこをどう叩いても出ては来ない。
「それが、ミィちゃんの記憶に強烈に残った。
そういうことだ。」
龍平はまるで宿題の作文を読み終わったときのような顔をして見せた。
「う〜ん・・・。そ、そんなこと、あったっけ?」
哲司は、さすがにこのときばかりは、自分の記憶装置がどこか壊れているようなもどかしさを覚えた。
(つづく)