第7章 親と子のボーダーライン(その70)
「じゃあな。」
龍平はそう言って、自分の教室に入って行った。
哲司が振り返ると、もうその廊下には景山の姿は見えなかった。
諦めて教室に入ったらしい。
「さ、私たちも行きましょう。」
美貴が哲司の袖を引っ張るようにして教室へと向かう。
(ミィちゃん、ミィちゃん、ミィちゃん・・・・・・・。)
哲司は、その呼び方を何度も頭の中で繰り返す。
そう、先ほど、龍平が言った呼び方だった。
そう言えば、遠い昔、どこかでその呼び名と出会ったことがあるようなないような・・・。
それでも、そうして繰り返していると、やはりまったく初めて聞く呼び名ではないように思えてくるから不思議だ。
教室に戻って席に着いてからも、哲司はそのことが頭から離れなかった。
「この3人は同じ幼稚園だった」と龍平は言った。
確かに、龍平と同じ幼稚園だったことははっきりと覚えている。
そこからずっと遊び友達をやって来た。
だが、今隣にいる山川美貴については記憶が無い。
しかもだ、この子は、本来は5年生だ。
つまりは、1年年上の筈。
だとすれば・・・。
そこで、またまた龍平が言った「2年保育のとき」という言葉を思い出す。
哲司達が2年保育だということは、同じ幼稚園に1歳上のクラスがあったということだ。
つまりは「年長組」。
(う〜ん・・・。)
“ミィちゃん”、“年長組”。そのキーワードに、どことなく甘酸っぱい感覚が漂ってくるのだが、それでも、そこから先がはっきりとした形になってこない。
担任が教室にやって来た。
そして、「起立」の掛け声が掛かる。
いつもの儀式だ。
ところが、哲司は考え事に没頭していて、つい、そんなことも頭から離れてしまう。
つまりは、現実から遊離してしまっていた。
座ったままで動かない。
「ん?」
そうした哲司に担任が気が付かない訳は無い。
まん前の2列目だ。
担任が何かを言おうと息を吸ったとき、横にいた美貴がいきなり哲司の肩を思い切り叩いた。
さすがに、哲司も夢から醒める。
慌てて、椅子から立ち上がった。
(つづく)