第7章 親と子のボーダーライン(その60)
「はい。では、始めてください。」
担任がそう言った。
と、クラスの中から一斉に鉛筆の音がし始める。
哲司も、できることだけはちゃんとする。
名前の欄に自分の名前を書く。
それだけはする。
「ああ、それからですね・・・。」
担任が何か言い忘れたことがあったように、言葉を繋いでくる。
「この列からこちらの人は、宿題の部分を書いたノートを開けて置いてください。
順番に見させてもらいますから・・・。」
「・・・・・・。」
哲司は、やっぱりそう来るかと思っただけだった。
哲司の列のまん前に担任が立っていた。
哲司は、言われたとおり、ノートを開けて横に置く。
もちろん、あの問題だけが書かれたページである。
早速、担任が横に来る。
前からふたり目なのだから仕方が無い。
「・・・・・・。」
担任の指が哲司のノートに触れる。
何かを言われるかと思ったが、担任はそのままそのノートから指を離した。
問題を書いてあったことだけは確認したようだった。
で、次の瞬間には、担任の身体は後ろの子の横へと移動していた。
あまり強くは無いが、それでも女性特有の柔らかな匂いが残っていた。
正直、哲司はほっとする。
もちろん、何を言われようが、どう言われようが、宿題をしてきていないことは事実なのだから仕方が無いのだが、それでも、こうして何も言われないと、「サンキュー」っていう気持になる。
その態度に、誰かのように「無視をされた」とは思わない哲司である。
その担任が後ろの方へと行った頃になって、横の美貴が小声で言って来る。
「ど、どうして、叱られないの?」
美貴にすれば、宿題をしてこなかった哲司には何らかの叱責があってしかるべきだとの考えがあるようだ。
その辺りが、やはりアメリカで育った影響なのだろう。
白黒をはっきりとさせたい性格のようだ。
哲司は、黙っている。
第一、その問いに答える術を持たない。
俺に訊かれたって・・・。そんな思いだ。
「ね、ねえ・・・。」
美貴が、小声を意識しながらも、再度訊いてくる。
(つづく)