第7章 親と子のボーダーライン(その31)
つ、つまりは、ほんの僅かな期間であったが、哲司は山川美貴と同級だったのだ。
小学校4年の当時から、既に哲司は問題児だった。
別に、教室内で授業中に騒いだりすることはなかったが、まともに勉強する意欲の無い子供だとのレッテルを貼られていた。
それもあるのだろう。
別に目が悪いわけではなかったのに、常に前から2列目。しかも中央の列。
言うなれば、教師の目が常に行き渡る席が、哲司の指定席のようになっていた。
それなのにだ。
担任は、何をとち狂ったか、他の子の席を動かしてまでも、その哲司の横の席に山川美貴を座らせたのだった。
哲司に対するのとはまた別の意味での、要注意生徒だったのだろう。
もちろん、担任からは山川美貴の紹介と、このクラスに編入された理由の説明があった。
山川美貴は、6年間アメリカにいたらしい。
それも、最初の3年はシカゴ、後の3年をニューヨークで過ごしたらしい。
つまり、小学校に入る前に、既にアメリカに渡っていたということなのだ。
もちろん、現地の日本人学校に通ってはいたらしい。
それでも、生活する周囲はアメリカ人ばかりだ。
だからでもないのだろうが、彼女が話す日本語は、当時のクラスの中では「変な日本語」と言う印象があったのは事実だ。
どこがどうとは言い難いのだが、何となくイントネーションがおかしい。
聞いていると、おちょくられているように感じる響きがあった。
それは、最初の日の彼女の自己紹介で発覚する。
「山川美貴です。どうぞ、よろしく。仲良くしてください。」
たったそれだけの挨拶だったが、「どうぞ、よろしく」の部分のアクセントの付け方がへんてこりんだった。
少なくとも、クラスの皆はそう思ったようだった。
あちこちでクスクスと笑う声が聞こえた。
「はい! 皆さん、拍手でお迎えしましょうね。」
女性の担任教師はそう言ってクラス全員に拍手を求めた。
一刻も早く、山川美貴を席に着けたいようだった。
クラスの中から疎らな拍手が聞こえた。
「え〜と・・・。山川さんの席なんだけれど・・・。」
担任はそう言ってから、哲司がいる中央の列の直ぐ横の列の前に立った。
「この列の浅野君から後ろの人は、ひとつずつ席を下げてください。」
そう言って、哲司の横の席にいる男の子を名指しする。
「それで、和田君、一番後ろの空いていた席をここに持ってきて・・・。」
担任は、哲司の横に、空いていた席を運ぶように学級委員の和田に指示をした。
(つづく)