第7章 親と子のボーダーライン(その21)
「早いものだなぁ〜・・・。」
父親が両手で湯呑を持ったままで呟くように言う。
(ん?)
哲司は、一瞬、父親が誰に向かって言っているのかが分からなかった。
哲司に向けて言ったのか、それともまさに呟きで、自らに向かって言ったのか。
だから、反応するかどうかにも迷いがあった。
「な、何が?」
父親の視線の端が自分を捉えたと感じた哲司が問い返す。
「この湯呑を土産に呉れたのはもう10年も前だ。
つい、数年前のような気もするが、そうじゃないんだなぁ〜。
そりゃあ、定年も来るわなぁ〜。」
父親は、依然として誰に向って言っているのかがはっきりとはしない話し方をする。
要は、「時の流れは速い」ということのようだが・・・。
「幾つになった?」
父親が少しの間を空けてから、そう言ってくる。
今度は、明らかに哲司に向けられた言葉だと分かる言い方だった。
「22。誕生日が来れば23。」
哲司は、意識してぶっきらぼうに答える。
父親なんだから、そんな事は聞かずとも分っている筈だと思う。
「じゃあ、恋人がいても不思議じゃないんだが・・・。」
「そ、そんなもの・・・。」
「いないのか?」
「・・・・・・。」
哲司は、どうしてそんなことを訊かれなければいけないのかと腹が立つ。
面白いものではある。
同じことを、久しぶりに会った友達から訊かれるが、それには抵抗が無い。
まるで、「お久しぶりですね」の言葉と同等の意味に感じるからだ。
互いの近況を語り合うための第一声だと言っても良いだろう。
「どう、彼女できた?」
同年代の男友達だと、この会話から入るのがごく普通になっている。
だが、同じ言葉でも、こうして父親に訊かれると、「ほっておいてくれ」と悪態を付きたくなるものだ。
その裏に、別の意味があるように感じるからかもしれない。
いつもであれば、そうした会話に自分も参加をしたいとばかりに口を挟んでくる母親だが、ことこの話題に関しては黙ったままでじっと哲司の様子を窺うようにしている。
手に持った茶碗と箸が、宙で動かなくなる。
「ま、男なんだから、恋人のひとりやふたりいても不思議じゃあない。
ただな、責任ある行動だけは頭においておいてくれ。
それさえ守ってくれれば、お父さんは、何も文句は無い。
早く結婚をしろとも言わないし、その女は駄目だとも言わない。」
父親は、意外とも取れる言葉をやや早口調で並べ立てた。
聞いていた哲司が拍子抜けするほどだった。
(つづく)