第7章 親と子のボーダーライン(その19)
狭い家のことだ。
当然に、母親にも今の父親の言葉は聞こえていた筈だった。
「はい、御飯、これぐらいで良かったですか?」
母親はそう言いながら、作ってきたお茶漬けを父親の前に両手で差し出す。
「あ、ありがとう。うん、これぐらいで丁度良い。」
父親はにっこりと笑ってその茶漬けを受け取った。
久しぶりに、父親の笑顔を見た気がする哲司である。
「その梅、お父さんのお好きな南高梅ですよ。」
さっそく父親がその茶漬けを口にしたのを見て、母親が自分の席に腰を下しながら言う。
父親は、黙ってひとつ頷いただけだった。
そして、旨そうに茶漬けを口に掛け込むようにすする。
母親は、慣れた手順なのだろう、漬物が入った小鉢から胡瓜の浅漬けを3切れほどを小皿にとって、それにほんの少しだけ醤油を垂らす。
そして、それをそっと父親の前に置いた。
「哲ちゃんも、良かったら後でお茶漬けする?」
黙ってトンカツを頬張る哲司に視線を送って、母親が言ってくる。
哲司は首を横に振る。
茶漬けは余り好きではなかった。
「そうだわね。じゃあ、明日の朝は、久しぶりにおにぎりでもどう?
哲ちゃん、昔からおにぎり好きだったでしょう?
梅もあるし、昆布も、それからもちろんオカカもあるわよ。」
母親は、久しぶりに賑やかとなった食卓を楽しんでいるかのように言う。
「う、うん・・・。それで良いけれど・・・。」
哲司は、深く考えないでそう答える。
そんなことより、先ほどの父親の話の先がどうなっているのかが気になって仕方がない。
まさか、あれで終わりではない筈だ。
そうは思うのだが、どうしてか、自分からはその話に戻せない。
ひたすら、父親の気配を探るだけになる。
父親が茶碗で顔を塞ぐようにして、茶漬けを最後まで食べ終えたようだった。
哲司は、サラダを口の中でモグモグさせながら、その父親の口元に視線を貼り付ける。
「いゃあ、美味しかった・・・。ありがとう。」
父親は、綺麗に空になった茶碗をテーブルの上に戻して、今度は先ほど母親が用意した胡瓜の浅漬けに箸を伸ばす。
まさに、そこにそれがあって当然とでも言うような自然な動きだ。
哲司は、父親が再び口を開くタイミングを計っているような気がしてならない。
(つづく)