第7章 親と子のボーダーライン(その18)
「う〜ん・・・、下克上とはまた違うんだと思うんだけれど・・・。」
母親は、その言葉には抵抗を示す。
まるで戦国時代を思わせる言葉だからだろう。
「だ、だって、下の人間が上の人間を倒すってことだろ?」
哲司には同じようにしか思えない。
「お母さん、お茶漬けにしてくれないか・・・。」
突然、父親がそう言った。
ふたりの会話を意識的に止める気持があったような気がしないでもない。
(ちょ、ちょっと過激すぎたか・・・。)
哲司は、父親の顔色を見て、唇を噛んだ。
「はい。じゃあ、鮭茶漬けにします? それとも・・・。」
「梅干があったら・・・。」
「はい、ありますよ。」
「じゃあ、それで・・・。ああ、御飯は半分ぐらいで良いから・・・。」
「はい、半分ですね。」
父親と母親の会話である。
父親が茶碗を差し出し、それを両手で受け取る母親がいる。
もう何十年もそうしたやり取りを繰り返してきた夫婦である。
父親の茶碗を受け取った母親がキッチンの方へと立って行った。
「あのな、お父さんは、別に今の仕事に未練があるんじゃないんだ。」
母親の姿がキッチンの中に入ったことを確認したかのように、父親が話し始める。
特に、哲司の顔を見るのでもなく、ただまっすぐ視線を上げて、その先に母親が動く姿を捉えるようにだ。
「そりゃあな、自分なりに頑張ってきたとは思ってるし、それをひとつの誇りにもしてきた。
お母さんと結婚をして、この家を買って、そしてお前が生まれた。
そして、幼稚園、小学校、中学校・・・と大きくなってくれた。
それもこれも、今の仕事があったればこそだ。
そういう点において、良く頑張ってきたとも思うし、会社にも感謝をしている。」
「・・・・・・。」
哲司は、黙ってその言葉を聞いている。
「定年退職は、働く人間にとっては、ひとつの区切りだ。言わば、サラリーマンとしての卒業式みたいなものなんだ。
学校の勉強と同じで、あの時、こうすればよかったとか、ああすべきじゃなかったとか、そうした悔いはお父さんにだってある。
だから、そうしたことを乗り越えて、何とか無事に卒業できたことは嬉しいことだし、胸を張りたいとも思う。
今時の感性からすれば、何を言ってるんだと思われるかもしれないが、お父さんの世代は誰しもが皆そうした思いでこの定年を迎えている。
よくがんばったなぁ・・・ってな。」
父親がそこまで言ったとき、キッチンから母親が戻ってくる。
(つづく)