第7章 親と子のボーダーライン(その11)
●読者の皆様、更新が遅くなって申し訳ございません。
本日、朝からの会議が長引き、いつもの時間に掲載することが出来ませんでした。
仕事をしながらでの執筆ですので、どうかご容赦を。
「ところで、学校の方はどう?」
母親が味噌汁の椀を手にしながら、哲司の様子を窺うように訊いて来る。
「ど、どう、って?」
哲司は、そう切り返す。
答えたくない、触れられたくないという時の哲司の癖である。
「だから・・・、順調なの? ってこと・・・。」
「ああ・・・、まあまあかな?」
「だ、だったら、良いんだけれど・・・。」
母親は、そう受けたかと思うと、その視線を向いの席に座っている父親の方に向けた。
(何か、言ってくださいな)とでも言いだけだ。
哲司にも、そうした両親の無言のやり取りは感じ取れる。
今日に始まったことではなかったからだ。
父親は、どちらかと言えば無口な方だ。
もともとの性格からしてそうなのか、あるいは威厳を保とうとしてそうしているのかは分からない。
ただ、哲司が物心付いた頃から、そうした雰囲気は変わらなかった。
それもあってか、哲司に対するのは、9割がた母親の方だった。
哲司は、この学校の話題が一番嫌だった。
そりゃあ、そうなる。
既に、専門学校には通っていなかったからだ。
別に、正式な「退学届」や「休学届」を提出したものではないから、学籍そのものは現在もあるのだろうが、現実的には、その決められたカリキュラムを受講していないのだから、実質的な自主退学とされても致し方ない。
かと言って、学校側がどのように取り扱っているのかさえ知りはしない。
各種の学割にも使える「学生証」も、今でもアパートの机の引き出しに入っている。
「返せ」とも言われてはいない。
そうした事実を、哲司は今まで両親に報告してこなかった。
別に隠そうとしてきたものではない。
退学を決意していないのと同じで、報告をしなければならないという気持もなかった。
そして、そうした現実だけが、日々、実績として積み重なってきただけだ。
それでもだ。
哲司の気持の中には、「既に、両親はこの現実を知っている」という思いがあった。
どうしてそう思うのかと問われると、それに対する答えは持ち合わせていない。
それでも、そう思うし、それはほぼ間違いがないことだという確信すらある。
今の専門学校だって、哲司が自分で探してきて、「ここに行きたい、ここで専門知識を身につけたい」と申し出たものではない。
工業高校を卒業後、学校の紹介で家電量販店に就職をした。
一応は、しっかりと働くつもりで勤め始めた。
それでも、やはりそこに定着することは出来なかった。
で、結局はそこを退職することになる。
哲司自身は、それを挫折だとは思わなかったが、どうやら両親はそうは思えなかったようだ。
で、急遽、見つけてきたのが、今の専門学校だった。
(つづく)