第7章 親と子のボーダーライン(その9)
「どうだ? 久しぶりの我が家は?」
父親が、トンカツに箸を伸ばしながら言う。
特に、哲司の顔を見て言ったものではないのだが、哲司の箸が止まる。
「う〜ん・・・、変わってないって感じ?」
哲司は、どうにでも話が逃げられるようにと、曖昧な言い方をする。
本音を言えば、「我が家」という実感が沸かない。
やはり、あくまでも「実家」というどうしようもない「距離感」がある。
哲司にとっての「我が家」は、やはりあのアパートなのだ。
何もない、何の変哲もない小さな部屋だが、それが今の自分のすべてのような気がする。
両親は、哲司の現状を、あくまでも「仮の状態」だと考えているようだ。
それは、哲司にも理解できる。
今のアパートに引っ越す際も、それはあくまでも「専門学校」に通うためのものであり、そこを無事に卒業すれば、いずれはこの家に戻ってくると言った前提があった筈だ。
だから、アパートに引越ししたものの、住民票は動かしてはいない。
いや、動かすことを禁じられたのだ。「どうせ、戻るんだから・・・」と。
つまり、哲司の公式な住所は、今でもこの家になっている。
生まれてこの方、住所が変わったことは一度もない。
「ああ・・・、そうだ・・・。」
哲司は、最初のトンカツを口に放り込んでから、ふと思い出したように言う。
「な、なに?」
母親が応じる。
以前から、そうだった。
哲司が何かを言い掛けると、まずは母親が反応する。
仮に、哲司が父親に物を言いかけた場合でも、まずは母親が反応する。
どうしてなのかは分からないが、哲司が小さい時からそうだった。
「川上小学校って、どっかに引越しした?」
哲司は、バスの窓から見たあの校舎を思い浮かべて言う。
「えっ! 知らなかったのかい? 統廃合があってね。」
「統廃合? つまり・・・、どっかの学校に吸収されたってこと?」
「ええ・・・。確か、町田小学校と一緒になったんじゃなかったかなぁ・・・。」
「ま、町田って・・・、あの市街地にある?」
「そ、そうよ・・・。」
「ふ〜ん・・・、そうだったのか・・・。」
結局は、哲司と母親の会話になる。
母親はそれが当然のような顔でニコニコしながら話してくるが、同じ食卓にいる父親は、まるでその会話が聞こえていないように、ただ黙々と箸を動かせている。
「それって、いつ頃のこと?」
哲司は、それが今年か去年の話なのだろうと思って訊いている。
(つづく)