第6章 明日へのレシピ(その23)
哲司は、このまま駅ビルに向かおうかどうかを迷った。
別に、高木に関心や興味がある訳ではない。
たまたま、電車の中で30分ほど話しただけの男だ。
このまま見過ごせば、もう二度と会うことも無いだろう。
そして、哲司の記憶からもやがては消えていく。
そうは思うものの、どうしてかその場を動けなかった。
いや、動きたくは無かった。
もう少し、高木の様子を見てみたかった。
単なる野次馬根性なんだろうと自覚をする。
哲司は傍にあったバス停の長椅子に腰を下した。
そして、わざと時計を見ながら、ダイヤを確認する仕草をする。
暗に、「このバス停からバスに乗るんです」と伝えたつもりだった。
もちろん、演技である。
そして、身体半分を斜めに構えるようにして、投げ出した足を組む。
こうすると、視界の端に高木の姿を捉えることが出来るからだ。
さすがに、真正面で見つめることは憚られた。
高木は、時計を確認しながら、駅の方をじっと見ている。
もうひとり、来る予定の人を待っているのだろう。
他のメンバーは既にマイクロバスの中のようだ。
バスもエンジンを駆けた状態でスタンバイしている。
ジリジリと時間が過ぎていく。
バスの運転手が運転席から顔を出してくる。そして、何事かを高木に言っている。
多分、「もう時間が無い」とでも言っているのだろう。
と、その時だった。
高木が、スーツの胸ポケットに手を突っ込んだ。
どうやら電話が掛かってきたようだった。
携帯電話を取り出している。
画面で相手を確認してから出る。そして、話し始める。
もちろん、哲司にはその会話は聞こえない。
だが、どうやら、その相手は待ち人だったようだ。
「浅田さん!」という叫び声だけが耳に飛び込んでくる。
「だったら、もっと早く連絡を・・・」とも。
高木は、その電話を話しながらも、目の前のマイクロバスに乗り込んだ。
そして、中からドアを閉める。
すぐさまバスが動き出した。
高木が、その窓から、哲司に向かって軽く会釈をした。
いや、哲司がそう感じただけなのかもしれない。
哲司は、マイクロバスがロータリーの中をくるりと回って大通りに出て行くまで、じっとその窓を見つめていた。
(つづく)