第6章 明日へのレシピ(その19)
「“帰属先”をねぇ・・・。」
哲司は、その言葉に初めて出会ったような気がする。
そして、自分の口で、初めて呟いたと意識をする。
哲司も、足元に置いていた鞄を持ち上げてきて、膝に抱えるようにしていた弁当とお茶、それと珈琲の入った携帯用ポットをそっと入れた。
これでいつでも降りられる。
「実家に戻ってから、近所を歩くと、“ああ、高木さんちの坊ちゃん”。そう呼ばれるんですよ。
それは、決して間違っちゃいないなんですが、どうしてか、僕はそう呼ばれるのが嫌でね。
とっくに大学を出た男なのに、そうして“坊ちゃん”と呼ぶ。そこに、まだ親の脛をかじってるっていう嫌味を覚えたんでしょうね。
言った人は、そんなつもりは無かったんでしょうが、聞いた僕にそれを受け流すだけのキャパ、余裕が無かったってことだと思います。
だから、近所も歩かなくなった。
それが引きこもりの第一歩です。
そして、オヤジの顔がまともに見られなくなったのが第二歩。」
高木は、まるで自分の回想録を読むように、じっと手元を見つめて話している。
意識してなのか、それを聞かせている筈の哲司の顔を見たりはしない。
「運転免許は無いけれど、ちゃんと運転は出来ます。
そう言っても、人はなかなか信じちゃ呉れないものです。
ですから、試験場のコースを、こうして何度も走って見せるんですが、なかなかその免許証を交付しては呉れない。
まあ、でも、その努力さえもしなくなったら、それこそ、ずっと引きこもりのままですからね。
頑張るしかありません。」
高木は、そう言って、ようやく隣にいる哲司の顔を見た。
その目は、笑っていた。
電車のスピードが落ちてきた。
いよいよ終着駅に着く。
「詰まらない話にお付合いをさせてしまいました。どうもすみませんでした。」
高木がそう言って握手を求めてくる。
「あ、いえ、・・・貴重なお話でした。有難うございます。僕も負けないように頑張ります。」
哲司は、そう言って差し出された高木の手を握り返した。
温かい手だった。
いや、とても熱く感じられる手だった。
(つづく)