第6章 明日へのレシピ(その17)
「でも、今の引きこもりと決定的に違うのは、インターネットなんて、一般の家庭には無かったってことです。
もちろん、携帯電話も、個人で持つ人は殆どいませんでした。料金がとても高かったですしね。
そんな状況でしたから、自室にこもると、社会との繋がりが全くなくなってしまうんです。
自分の存在そのものが実感できなくなってしまうんです。」
高木は当時を思い出そうとするのか、目を瞑るようにして話してくる。
「自分の存在?」
「ええ・・・、自分は“いてもいなくっても・・・”って感じですかねぇ?」
「“いてもいなくっても”?」
哲司は、その言葉が自分に突き刺さるのを感じる。
「曲りなりにでも、銀行にいたときには、雑用であれなんであれ、自分がするべきことがちゃんとあって、それをこなさなければ誰かに影響を及ぼす。
そりゃあ新人に担当させるぐらいですから、与えられた仕事そのものはそれほど難しいものじゃない。
でも、銀行もやはり組織という生き物なんです。
僕というひとつの細胞が機能しなければ、やはり全体に影響が出てくる。
場合によっては、ほんの些細な僕のミスが、まるでドミノ倒しみたいに銀行全体の仕事に影響を及ぼす事だってあるんです。
僕が叱られるだけでは終らないんですよね。」
高木は、そう言ったかと思うと、膝の上のノートパソコンの電源を切りに掛かった。
「ん?」
哲司は、高木がどうしてノートパソコンを閉じようとするのか分らなかった。
高木が腕時計を見る。
それを見て、哲司にもようやくそうする意味が分る。
そろそろ終着駅に着く頃なのだ。
「そうした生活から一転、何をしても、逆に何もしなくっても、誰にも影響しないっていう状況になった。
ま、もちろん、両親には迷惑を掛けてはいましたが、社会という他人様とはそうした関係が無くなったんですよね。」
「・・・・・・。」
「最初の頃は、まるで学生時代に戻ったようで、何とも言えない開放感のようなものがあったんですが、そのうちに、次第に焦りのようなものが出てくるんです。
同じように自由さがあっても、そこは自ずから違うんですよね。
学生時代の自由さは、学生証が提示できる上での自由さ。
でも、その当時の僕には、そうしたものが無かった。
つまり、自由でいられるいわば“自由証明書”が与えられていなかったんです。」
高木は、そう言いながら、ノートパソコンをビジネスケースの中へと戻した。
(つづく)