第6章 明日へのレシピ(その9)
「僕はひとつ前の駅から乗ったんですが、その時からずっと抱かれてましたからねぇ。だから、最初はてっきりあなたのお子さんなんだと思ってたんです。奥さんとご一緒に、どこかへ旅行でも行かれるのかと。」
男性はくそ真面目な顔で言ってくる。本当にそう思ったようだ。
茶化すつもりは毛頭ありませんという雰囲気だ。
「へぇ〜・・・、そう見えたんですかぁ〜。」
哲司は意外な気がする。
まさか、他人様にそう見られるとは思ってもみなかったからだ。
それでも、内心、嬉しいものを感じる。
赤ん坊の父親と言われたことではなく、あの女性の結婚相手と思われたことがその理由かもしれない。
「お若いのに、ちゃんとお父さんをされてるんだって・・・、そう思いました。
まあ、僕のひがみのような感情があったのだと思いますが・・・。」
「ひがみ?」
「ええ・・・。あの赤ちゃんも生後半年ぐらいでしょう?」
「確か、5ヶ月だと聞きましたけれど・・・。」
「でしょう? うちの子は6ヶ月なんです。」
「・・・・・・。」
「それなのに、僕はまだ一度も直接顔を会わせていないんです。
もちろん、この手に抱いたこともありません。
そりゃあ、家内とはメールもしますし、声を聞きたいときには電話もします。
でも、息子は何も喋ったりはしてくれません。
泣いているときの泣き声だけなんです。聞いたことがあるのは。」
「・・・・・・。」
哲司は、どう言ったら良いのか分らない。
「そんな状況ですからね、正直、羨ましく思いましたし、どうして僕は・・・とひがみもしました。
おまけに、あの赤ちゃん、本当にあなたに懐いているようで・・・。
きゅって、あなたの小指、握られてたでしょう?
あれを見たときは、衝撃でした・・・。
僕が息子を抱いたら、あんなふうにしてくれるんだろうか?
あんなに嬉しそうにしてくれるんだろうか?
ギャアギャア、大声で泣き出されるんじゃないかって・・・、不安なんです。
おかしいでしょう? こんな歳にもなって・・・。」
「・・・・・・。」
哲司には答えようがない。
ある意味で、この男性の痛みが自分にもあるような気がする。
「赤ちゃんの抱き方って言うのか、あやし方って言うのか、そうしたコツってのはあるんでしょうか?」
男性は、まるで仕事の手順を先輩に習うような言い方をする。
「そ、それは・・・、僕も知りませんよ。」
哲司は、これだけは本音で言える。
俺だって、知りたいぐらいだ。そう思っている。
(つづく)