第6章 明日へのレシピ(その7)
「う〜ん・・・、どうなのでしょう? 今時、英語が読めて書ける程度の人間は掃いて捨てるほどいますから。」
「ま、まさか・・・。」
「いえ、本当です。翻訳と言っても、僕の場合だと、それこそ書いてある英語を直接的に日本語に置き換える。ただ、それだけなんですよ。
だから、置き換えた後の日本語の文章を読むと、何の面白味もない、無味乾燥なものになってしまう。
本当の翻訳ってのは、その英語なら英語で書かれた文章で、その書き手が何を伝えようとしているのか、何を言わんとしているのか、それを理解したうえで、そうした主題がしっかりと読み手に伝わるような日本語の文章にしなくては行けないんです。
そのレベルには、到底、はるかに及びませんから。」
「そ、そんなものなんですかねぇ・・・。」
哲司も、そこまで言いきるように言われると、それが現実なのかと多少落ち込む気持が沸く。
「ですから、僕の場合は、殆どがビジネス文書の翻訳なんです。」
「ビジネス文書?」
「ええ、見積もりの依頼文とか、契約書の翻訳とか・・・。」
「ああ・・・、だから、専門用語がどうとか?」
「ええ・・・、まあ・・・。それぞれの業界での特殊用語があって・・・。
そうしたビジネス用語の辞書を持ってはいるんですが、なかなかすべてが網羅されるものではないようで・・・。」
男は、そう言って苦笑いをする。
それでも、こうして最初は拒絶反応に近い態度だった哲司と話ができたのが嬉しいようで、手を止めたままで哲司の方に身体を寄せてくる。
「ああ・・・、そうだ。」
男は、何を思ったか、今まで画面に立ち上げていた書類をクローズして、別のアイコンをクリックする。
「これこれ・・・。これが、僕の息子なんです。」
男はそう言って、画面の中央に1枚の写真をアップさせる。
そして、そのパソコンの画面を哲司の正面へと角度を変えてくる。
「ああ・・・、可愛い!」
哲司も思わずそう声に出すほどだった。
目のとても大きな赤ん坊の顔写真だった。
にっこりと笑っているように見える。
「で、でしょう! まだ見ぬ我が子ですが、この写真を見てるだけで、心が和みます。と、同時に、この子のためにも頑張らねばって思うんです。」
そう言った男の顔は、まさにその言葉どおりだった。
至福の一瞬なのだろうと思う。
哲司は、その写真を見て、つい先ほどまでその手に抱いていたあの赤ん坊の笑顔を思い出す。
その手に、あの柔らかな感触が蘇ってくる。
(つづく)