第5章 舞い降りたエンジェル(その81)
哲司が赤ん坊の小指を最後に開かせたときだった。
その瞬間、赤ん坊が両手を伸ばして哲司に向かって倒れ掛かるようにしてくる。
「ああっ!」
赤ん坊を抱いていた女性が声をあげる。
だが、その時には、赤ん坊の両手は哲司の両肩に触れていた。
そう、もうその身体は哲司の胸へと投げ出されていた。
哲司はビックリしてそれを受け止める。「危ない!」と思ったからだ。
「こ、これ、薫。 もう、駄目よ。」
女性は、赤ん坊の腰から下だけを抱きかかえるようにしたままで、赤ん坊の身体を引き戻そうとする。
「じゃあ、ホームまでお送りしますよ。」
哲司は赤ん坊の身体をそのまま抱き取るようにしてそう言った。
いや、そうしたかった。だから、提案をする。
「そ、そうですか? では、お言葉に甘えて・・・。」
女性も我が子にそこまでされては・・・と思うからか、哲司の提案を受け入れてくれる。
「じゃあ、巽さんの席、窓側に寄せておきますね。」
女性は赤ん坊を哲司に預けてから、哲司の荷物を自分が座っていた席に移動させる。
哲司の鞄、それに哲司の分として残してくれた弁当と珈琲の入ったポットである。
「じゃあ、行きましょうか。」
哲司がそう声を掛ける。
電車のスピードが次第に落ちてくるのを感じてのことだった。
赤ん坊は寝覚めが良いのか、哲司に抱かれてからは、例の泣き出しそうな顔は影を潜めていた。
その代わりと言っては変なのだが、またまた哲司のジャンパーの袖をぎゅっと握っている。
哲司は通路へと立った。その後ろに女性が荷物を持って同じように立つ。
赤ん坊は、哲司に抱かれていて、その視線の先に母親である女性の顔を捉えているからか、すこぶる機嫌が良くなった。
また、何やら話し始めているようだ。
「グッピー、チャッチャ・・・。」
「薫。そんなにお兄ちゃんのことが好きだったら、このまま一緒に連れて行ってもらう?」
女性が後ろから赤ん坊にそう言っている。
もちろん、赤ん坊にその言葉の意味が理解できる訳もない。
だが、冗談ではなくて、哲司の気持としては、「はい、それでも良いですよ」と言いたいぐらいだった。
(つづく)