第5章 舞い降りたエンジェル(その76)
赤ん坊は、気持良さそうに、本当に気持良さそうに、哲司の胸に凭れるようにして眠っている。
縦抱きにしているものだから、哲司の太股を跨いで座って、その上体を哲司の胸に凭れかかるような姿勢だ。
耳の部分が丁度哲司の心臓辺りにある。
哲司の鼓動が聞こえているだろう。
(横抱きの方が楽なんだろうか?)
哲司は、何度かそう考えた。
人間、眠るには横になるほうが寝やすいに決まっている。
そう思うからだった。
それでも、その都度、(もうしばらくはこのままでいよう)と思うのだった。
「眠りにくかったら、この子、ちゃんと愚図りますから・・・。」
女性がそう言ってくれていたことが唯一の支えだった。
それが無い以上、つまりは赤ん坊が愚図らない以上、これで良いのだ、そう思うことにした。
「そろそろ、かな?」
女性が、そう言って横から赤ん坊のお尻に手をやってくる。
「ん?」
哲司は、女性が言った意味が分らなかった。
「あら、まだ握ってます?」
女性が少し驚いたように言う。
「えっ! 何を、です?」
「小指ですよ。この子ったら、まだ巽さんの小指握ったままで・・・。」
そう言えば、もうすぐ抜けるだろうなと思った瞬間は確かにあった。
赤ん坊の右手が、握っていたジャンパーの袖から離れたときだった。
だが、その時にも、まだすっと抜ける状況には無かったように思う。
だからこそ、無理をして引き抜いたりはしなかったのだ。
「ああ・・・、あのお婆さんの一件があって・・・。」
「お婆さんの?」
「はい、息子さんが車内で大声で叫ばれたでしょう? “お婆ちゃん!”って。」
「あ、はいはい・・・。」
「それで、また、握りなおされてみたいで・・・。」
そうは言ったものの、哲司にはそうした感覚は無かった。
だが、そうとでも理由付けをしなければ、どうしてこうもしっかり握られているのかを説明できなかったのだ。
「余程、離したくは無いみたいですね。これじゃあ、巽さんの彼女さんに恨まれそう。」
女性はどうしてか嬉しそうにそう言った。
(つづく)