第5章 舞い降りたエンジェル(その71)
「山道って・・、じゃあ、支線に乗り換えられるんですか?」
「ええ、田舎者でしょう? 私、中学までそんな山の中で生活していたんですよ。その中学も分校でしたからね。」
哲司も地図の上だけでは知っていた。次の停車駅からは山間部へと伸びる支線があった。
赤字路線だからと、何度も廃線が検討されたと聞いたことがある。
「そ、そうなんですか・・・。僕はてっきり都会育ちの方だと思ってましたから。」
「うふっ! それは有難うございます。お世辞と分っていても嬉しいです。」
「そ、そんな・・・。」
「そんなことより、このお弁当食べてくださいな。まだ温かいですし・・・。
その子、私の方に貰いますから・・・。」
女性は、そう言って、哲司の胸から赤ん坊を抱き取ろうとする。
「いえ、稲垣さんからお先にどうぞ。次の駅で乗換えをされるんですし・・・。」
哲司は、いかにもやんわりと抵抗をする。
弁当云々より、今抱いている赤ん坊を取り上げられるのが何とも辛いのだ。
だからこその抵抗である。
「次の駅までまだ30分ほどありますから・・・。」
「僕は、まだそこから30分ほど乗りますから・・・。」
「そ、そうですか? じゃあ、遠慮なく・・・。」
女性は、とうとう諦めてくれる。
と言うより、どうやら哲司の本音を嗅ぎ取ってくれたようにも思える。
「では、せめて、このどちらがお好きかだけは教えてくださいな。そうでなければ・・・。」
女性は、そう言って哲司に選択を迫る。
「じゃあ、その“炊込弁当”を。」
哲司は見えたラベルをそのまま読んで答える。
もうどちらでも構わない。
「はい、では、これは巽さんので・・・。」
女性は、哲司が言った弁当をそのテーブルの上に残して、もうひとつの弁当を自分の膝の上に持っていく。
そして、「では、お先に・・・」と、その弁当に箸を付けた。
哲司は、女性が食べ始めたのを確認してからは、できるだけそちらを見ないようにした。それが礼儀なのだろうと思ったからだ。
車内アナウンスがまもなく発車することを告げてくる。
そして、次の停車駅を案内する。
と、その時だった。
車両内に響き渡る大きな叫び声が聞こえた。
「お婆ちゃん!」
哲司が抱いている赤ん坊が全身を硬直させるほどの緊張した声だった。
(つづく)