第5章 舞い降りたエンジェル(その69)
(俺がひとりで乗ってるんだったら・・・。)
哲司は、心のどこかでそう叫んでいる。
言い訳をするつもりではない。
哲司のような若い男は、今のお婆さんような人に席を譲るべきだと思っている。
だが、即座にそれが口にできなかったのは、やはり今抱いている赤ん坊と隣の席に戻ってくるであろう女性の存在が大きく影響している。
もはや、一人旅だとは言えなくなっていたからだ。
(ご、ごめんね、お婆ちゃん・・・。)
そうは思うものの、哲司はそのお婆さんの行った方向を振り返れない。
誰かが席を譲ってあげてくれればいいのに・・・と祈る気持だ。
その時だった。車窓を叩く人がいる。
見ると、あの女性だった。
まだ携帯電話で誰かと話をしている様子だ。
哲司は、どうして彼女が窓を叩いたのかが分らなかった。
「ん? どうしたんです?」
哲司はそう口にする。むろん、ホームにいる女性には聞こえていないだろう。
すると、女性が電話を切った。
で、次に何かを口に入れるジェスチャーをする。
「?」
哲司はその意味が分らないから、少し大きめに首を傾げてみせる。
女性への答えのつもりだった。
それを見た女性は少し困った顔を見せたが、それでも、ひとつふたつ頷いて、その車窓から姿を消す。
(ん? 何が言いたかったんだろう?)
哲司は会話が成り立たなかったことに責任を感じる。
女性が何かを伝えたかったのに、ガラス1枚を挟んだだけの哲司にはその意味が理解できなかった。
それは、自分に理解力が欠けているからのように思えたのだ。
それで再び女性がその車窓に現れるのを待つ気持もあって、そこから視線を外せなくなる。
と、向いのホームに鮮やかなオレンジ色をした電車が滑り込んできた。
後からやって来た特急だった。
さすがに特急料金を取るだけのことはある。
車内の座席もゆったりとしているし、窓だってこの急行の倍はあるぐらいに大きい。
何より、全席指定席だから、混雑感がまったくない。
これが決定的に違うところだろう。まさにお抱え列車という感じだ。
「何を見てるんです?」
突然、背後からあの女性の声がした。
(つづく)